翻訳という作業には解釈が伴うものであり、いかに原意をあやまらずに翻訳するか苦労するところです。しかし世界の人々にわかりやすく仏教経典を提供することは仏法弘通の為の大切な使命でもあります。選り好み、独断、偏見という短所は避けるように努めながらも、あえて未開拓の漢訳大蔵経を世界の人々に理解していただくよう英訳する行為は、仏教の平和思想を顕示し、東西文化の相互理解を深めるためにも、意義あるものだと考えます。
そこで、これらの139の典籍の内容について、極めて簡単に紹介することによって、なぜこれらの典籍が第一期分として選び出されたのかを理解していただく一助としたいと思います。
※番号の後に、典籍名、訳者・著者・撰者、大正大蔵経番号、想定される原典名(Skt. or Pāli)、英訳名(Eng.)を記しました。
※典籍名を記す際に、大正大蔵経所蔵のタイトル(旧字)を/の後に併記しています。
※原典名(Skt.)が不明なものについては、“ ? ” マークを付しました。
※英訳名(Eng.)があるものについては、出版済みの典籍です。()内に、収録書籍名を記しました。
インド撰述部
長阿含経/長阿含經(じょうあごんぎょう)
佛陀耶舍(ぶっだやしゃ),竺佛念(じくぶつねん)共訳
(大正大蔵経 No. 1)
仏教経典の中では最も古いものの一つで,釈迦牟尼仏によって実際に説かれたと思われる教えが数多く含まれている。
それら古い経典の中でも,比較的長いものが含まれているので,『長阿含経』とよばれている。
漢訳には,この他に,『中阿含経(ちゅうあごんぎょう)』(2番),『増一阿含経(ぞういつあごんぎょう)』と『雑阿含経(ぞうあごんぎょう)』の三つがあって,全体を「四阿含(しあごん)」とよんでいるが,南方仏教諸国に伝わったパーリ語聖典では,長部・中部・相応部・増支部・小部とよばれる,5部に分類されている。
全22巻が,内容的にみて四つの部分に分かれ,全体で30の経典が入っている。
第1の部分には,過去七仏(かこしちぶつ)をはじめとする仏陀の事蹟について述べてある四つの経典(巻第一~巻第五)が含まれている。
第2の部分には,仏教における修行と,教義の細目とが説かれている15の経典(巻第六~巻第十二)が含まれている。
第3の部分には,六十二見とよばれる,仏教以外の諸思想や諸宗教などにおける,さまざまな教えが提出され,それらを批判している10の経典(巻第十三~巻第十七)が含まれている。
最後の第4の部分は,前の三つとはまったく違って,「世記経(せいききょう)」という名の一つの経典(巻第十八~巻第二十二)だけで,その内容としては,人間の世界をはじめとする輪廻転生(りんねてんしょう)する諸世界の成り立ちや有様といったものが,詳しく述べられている。
中阿含経/中阿含經(ちゅうあごんぎょう)
瞿曇僧伽提婆(くどんそうぎゃだいば)訳
(大正大蔵経 No. 26)
原始仏教経典の一つで,南方系仏教のパーリ語聖典における,中部/マッジマ・ニカーヤに相当するもので,漢訳には,全部で222の経典が収められている。
経典の中では,その分量が中位のものばかりが集められているので,『中阿含経』とよばれている。
もっとも,パーリ語における152経の場合は,ほとんどが中位の長さのものであるが,漢訳の場合は,きわめて短いものや,その反対にかなり長い経典をも含んでいる。
内容的にはさまざまなものがあるが,釈尊やその弟子たちの言葉や行動,四諦とか十二因縁といった,原始仏教における根本的教義,さらには,譬喩(ひゆ)を述べたもの,といったものが含まれ,全体は,十八品とよばれる,18の経典群に分類されている。
阿含経とよばれるものには,この他に,長阿含(じょうあごん)(1番),増一阿含(ぞういつあごん),雑阿含(ぞうあごん)とよばれる経典群があり,この中阿含を含めて,全体を「四阿含(しあごん)」と呼んでいるが,パーリ語聖典では,中部の他に,長部/ディーガ・ニカーヤ,相応部/サンユッタ・ニカーヤ,増支部/アングッタラ・ニカーヤ,小部/クッダカ・ニカーヤの四つがあり,全体で5部になっている。
この漢訳の「四阿含」とパーリ語の5部とは,必ずしも一致しているわけではなく,それどころか,かなりの相違が見られる。
大乗本生心地観経/大乘本生心地觀經(だいじょうほんじょうしんじかんぎょう)
般若(はんにゃ)訳
(大正大蔵経 No. 159)
『本生心地観経』とか,『心地観経』と省略されてよばれることもあるこのお経には,仏道(ぶつどう)を成じて悟りに到達するためには,出家して静かな場所に住し,すべての根源である心の中からあらゆる煩悩(ぼんのう)の炎を消すことが大切である,ということが説かれている。
心地というのは,ちょうど大地があらゆる生物を生ずるように,人間の心こそが,清濁(せいだく)いずれの境地をも生ずる源泉であることをたとえたものである。
一応出家者の修行について説いた経典であるが,全体で13章あるうちの第2章に「報恩品(ほうおんぼん)」というのがあり,そこに父母・衆生・国王・三宝(さんぼう)の四つに対する四恩(しおん)が述べられていることから,日本においてはしばしば用いられてきた。
仏所行讃/佛所行讃(ぶっしょぎょうさん)
曇無讖(どんむせん)訳
(大正大蔵経 No. 192)
西暦1世紀に,インドの偉大な仏教詩人であった馬鳴(めみょう)/アシュヴァゴーシャ(93番参照)によって書かれた,釈尊(しゃくそん)の一代記である。
現存する梵本には,釈尊の誕生からはじまって,成長・人生の悩み・二人の仙人を訪問すること・悪魔の降伏(ごうぶく)までが述べられているが,漢訳には,それ以後の彼の生涯のすべてが述べられていて,全体として完全な伝記になっている。
ただし,後半の部分は,中国で加えられたものではなく,もともとサンスクリットで書かれていたものが,後代になってその部分だけ散佚(さんいつ)してしまったものである。
仏教文学の代表的著作であるが,漢訳されたものは,一応中国の詩の形をとってはいるけれども,必ずしも文学作品として成功しているとは言えない。
雑宝蔵経/雜寶藏經(ぞうほうぞうきょう)
吉迦夜(きっかや),曇曜(どんよう)共訳
(大正大蔵経 No. 203)
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)とその弟子たちの時代にはじまり,西暦2世紀のカニシカ王に終る頃までの,さまざまな物語が,全部で121話含まれている経典である。
多くの物語の中では,第9巻の中に出てくる,ミリンダ王が,ナーガセーナ比丘によって仏教に帰依するようになった物語や,第7巻に出てくる,カニシカ王が,アシュヴァゴーシャ菩薩と親しく交際していた物語,といったものが有名である。
この他にも,歴史的事実と思われる物語が多く出てくるが,カニシカ王が出てくることからも,この経典が編纂(へんさん)されたのが,西暦2世紀以後であることが明らかである。
法句譬喩経/法句譬喩經(ほっくひゆきょう)
法炬(ほうこ),法立(ほうりゅう)共訳
(大正大蔵経 No. 211)
漢訳の『法句経(ほっくきょう)』の中に出ている偈(げ)(詩)の中から,全体の約三分の二を選び出し,それぞれの章の冒頭にいくつかずつ引用し,一つ一つの偈が,どのような故事来歴(こじらいれき)によって出来上がっているかという,因縁(いんねん)物語を出している経典である。
パーリ語の『法句経/ダンマパダ』には全部で423の偈が集められ,それぞれの偈についての因縁物語や譬(たと)え話を述べている注釈書/アッタカターがあるが,漢訳の『法句経』には,500の偈の他に,250の偈が加わっているので,全体では750の偈があり,その中の三分の二がこの『法句譬喩経』では取り上げられているわけである。
小品般若波羅蜜経/小品般若波羅蜜經(しょうぼんはんにゃはらみつきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.227)
「般若経典」と総称されているものの一つで,同じく鳩摩羅什の訳した27巻の『般若波羅蜜経』を「大品般若経(だいぼんはんにゃきょう)」とよぶのに対して,10巻しかないので「小品般若経」とよんでいる。
日本においては,玄奘(げんじょう)の訳した600巻より成る『大般若経(だいはんにゃきょう)』や,前述の「大品般若経」の影にかくれて,ほとんど取り上げられることはなかったが,般若の「空」思想を,きわめて純粋な形で述べている点に大きな特徴がある。
この経の内容は『大般若経』の中にその一部として含まれているが,同本異訳としては,『道行般若経(どうぎょうはんにゃきょう)』,『大明度経(だいみょうどきょう)』,『摩訶般若鈔経(まかはんにゃしょうきょう)』,『仏母出生三法蔵般若波羅蜜多経(ぶつもしゅっしょうさんほうぞうはんにゃはらみったきょう)』などがある。
金剛般若波羅蜜経/金剛般若波羅蜜經(こんごうはんにゃはらみつきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.235)
「般若経典」の中では,『般若心経』(11番)に次いで最も広く読まれてきたお経で,特に禅宗系統の流れにおいては,きわめて重要視されている聖典である。
『金剛経』と略してよばれることもあるこのお経の中には,一切法(いっさいほう)とよばれる,この世界にあるすべての存在と現象とが,いずれも,例外なく実体の無いもので,いわゆる無我であることが詳しく説かれている。
「金剛」とはきわめて堅牢(けんろう)であることをたとえたもので,金剛石はダイヤモンドを,そして金剛杵(こんごうしょ)は武器を意味するように,最上とか最勝とかを意味する時にこの言葉が用いられている。なお,「般若波羅蜜」というのは「仏の完全な智慧」のことである。
大楽金剛不空真実三麼耶経/大樂金剛不空眞實三麼耶經(だいらくこんごうふくうしんじつさんまやきょう)
不空(ふくう)訳
(大正大蔵経 No.243)
一般には『理趣経(りしゅきょう)』または『般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)』とよばれているお経で,密教における最も奥深い教えが説かれている聖典として,真言宗においてはきわめて重要視され,常に読誦されているものである。
全体が17章に分かれ,密教の法身(ほっしん)である大日如来が,金剛薩埵(こんごうさった)のために,密教の極意や即身成仏(そくしんじょうぶつ)の究竟(くきょう)を,具体的な日常生活の中においていかに実現してゆくかについて説くという形式をとっている。
仁王般若波羅蜜経/佛說仁王般若波羅蜜經(にんのうはんにゃはらみつきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.245)
仏が,16の王国のために,国を護り安らかにするためには,般若波羅蜜,すなわち仏の智慧を実践することが最も重要である,ということを説いている経典である。
その内容から,日本においては護国の経典としてきわめて重視され,この経典を読誦するための「仁王会(にんのうえ)」とよばれる法会(ほうえ)が,西暦660年以来長らく行われてきた。
なお,このお経と『法華経(ほけきょう)』(12番),『金光明経(こんこうみょうきょう)』(33番)とをあわせて,「護国三部経(ごこくさんぶきょう)」とよんでいる。
国土が乱れたり,災害や敵に攻められたりした時に,この経を読誦すれば,災害がなくなり,五穀が豊かにみのり,人民が栄える,といった,きわめて具体的な内容を持った経典であったために,日本の皇室や幕府によってしばしば用いられてきたのである。
般若波羅蜜多心経/般若波羅蜜多心經(はんにゃはらみったしんぎょう)
玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.251)
『般若心経(はんにゃしんぎょう)』という略名によって広く知られているこの経典は,本文わずか262文字というきわめて短い経典であるが,その内容は,厖大な『般若経』の内容を圧縮したものであって,般若の空の思想を,まことに簡潔に述べたものである。
「心」というのは,最も肝要な部分,といった意味で,般若思想の精髄,と言ってもよいのである。
玄奘の名訳,ということもあって,古くから日本においては読誦経典として用いられ,日本仏教宗派の大部分が典拠としている。したがって各宗合同の法要などでは,これが読誦されるし,写経用の経典としても最もしばしば用いられている。
内容はきわめて深遠ではあるが,言葉としては仏教教義の重要なものの大部分が含まれているので,仏教入門書としても適している。
妙法蓮華経/妙法蓮華經(みょうほうれんげきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.262)
『法華経(ほけきょう)』という略名で呼ばれることもあるこのお経は,大乗仏教経典の中でも最も重要なものの一つで,日本においても,聖徳太子が「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の中にこのお経の注釈書(108番)を含めて以来,歴史を通して最も大切にされてきた。
多くの詩偈や物語を含んだ,きわめて文学的にも価値のある作品であるが,思想的にみても,仏教史の中で不朽の名をとどめている,と言えるほど優れた内容を持っている。
全体が28章に分かれているが,その中でも特に重要になのが第16章の「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」とよばれているもので,永遠の生命を持つ「久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦牟尼仏」が讃えられている。
多くの譬え話の中では,三車火宅(さんしゃかたく)・長者窮子(ちょうじゃぐうじ)・三草二木(さんそうにもく)・化城喩(けじょうゆ),といったものが有名であり,全体を流れる一乗思想が,日本仏教に与えた影響には量り知れないものがある。
ちなみに,このお経の第25章である「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)」は,観音菩薩の功徳(くどく)を述べた部分であるが,これが後に独立して,『観音経(かんのんぎょう)』として読誦され続けている。
ちなみに,この経典の題名に「南無(なむ)」という帰依(きえ)を意味する言葉をつけた,「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」という聖句は,日蓮宗をはじめとする多くの日蓮系宗派において唱えられていることはよく知られていよう。
無量義経/無量義經(むりょうぎきょう)
曇摩伽陀耶舍(どんまかだやしゃ)訳
(大正大蔵経 No.276)
「法華三部経」の一つで,『妙法蓮華経』(12番)の序として書かれたお経であり,その内容も『妙法蓮華経』の内容の要点にもとづいて構成されている。
無量義というのは,人間の煩悩(ぼんのう)が無量であるから説かれるべき教えも無量であり,したがって,その教えの意味もまた無量である,ということをあらわしている。
観普賢菩薩行法経/佛說觀普賢菩薩行法經(かんふげんぼさつぎょうぼうきょう)
曇無蜜多(どんむみった)訳
(大正大蔵経 No.277)
「法華三部経」の一つで『妙法蓮華経』(12番)の最後の章である「普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぽつほん)」をうけて書かれているので,『法華経』の結経(けっきょう),すなわち完結部分,とされている。
その内容は,釈尊が入滅する3ヵ月前に,ヴァイシャーリーの大林精舎(だいりんしょうじゃ)において,弟子たちに向かって,普賢菩薩の修行のありさまを観察することと,6つの感覚器官によって犯した罪を懺悔(さんげ)すべきこととを説いたものである。
大方広仏華厳経/大方廣佛華嚴經(だいほうこうぶつけごんぎょう)
佛陀跋陀羅(ぶっだばっだら)訳
(大正大蔵経 No.278)
釈迦牟尼仏が,菩提樹の下で悟りを開いてから後,最初に説いた教えが書かれているお経であると言われている。
全世界が,毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)からあらわれたものであるとし,さらに,きわめて詳細な縁起論(えんぎろん)を展開し,すべてのものが一つのものにおさまり,一つのものがすべてのものを含む,といった意味の,一即一切(いちそくいっさい)・一切即一(いっさいそくいち)といった世界観を展開している。
この60巻本の他に,「新訳」とよばれる80巻本と,「入法界品(にゅうほっかいぼん)」とよばれる1章のみを漢訳した40巻本とがある。
日本においては,東大寺を本山とする華厳宗の根本聖典である。
ちなみに,この「入法界品」の中で,善財童子(ぜんざいどうじ)が53人の善知識を訪れる物語から,日本における東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)が出来たといわれる。
勝鬘師子吼一乗大方便方広経/勝鬘師子吼一乘大方便方廣經(しょうまんししくいちじょうだいほうべんほうこうきょう)
求那跋陀羅(ぐなばっだら)訳
(大正大蔵経 No.353)
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普通は『勝鬘経(しょうまんきょう)』と省略されているお経であるが,その名のとおり,インド舎衛国(しゃえいこく)の波斯匿王(はしのくおう)の娘であった勝鬘が,釈尊の威神力(いじんりき)を与えられて説いたことになっているものである。
その内容は,一乗真実の道理と,仏の法身(ほっしん)について説いたものであるが,女性が主人公となっているという意味で,お経の中ではきわめて特殊なものであり,このお経に,女性の成仏が釈尊によって保証されていることから,女人成仏(にょにんじょうぶつ)の典拠の一つとなっている。
聖徳太子が,日本歴史の中での最初の女性天皇であった推古天皇のためにこのお経の講義をし,さらに,注釈書(106番)を書いて,「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の一つとしたことから,日本においては,重要なお経の一つとして用いられ続けている。
無量寿経/佛說無量壽經(むりょうじゅきょう)
康僧鎧(こうそうがい)訳
(大正大蔵経 No.360)
浄土教とよばれている流れにおいては,「三部経」という3種の経典が根本聖典とされているが,その中の一つで,『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』,『大経(だいきょう)』,『双巻経(そうかんぎょう)』などともよばれる。
その内容は,法蔵という名の一出家者が,世自在王仏(せじざいおうぶつ)という師の仏のもとで修行している時に,悩める一般大衆を救わんがために,「四十八願」とまとめてよばれる,48の大誓願を起し,それらを完成するために,西方極楽浄土を建立し,かくて法蔵(ほうぞう)が,阿弥陀(あみだ)という名の仏に成ることが出来た,ということが中心となっている。
したがって,この阿弥陀仏の誓願を信じ,この仏の名を念ずれば,人びとは極楽に生まれ,そこで仏と成ることが出来る,ということが説かれているのである。
「三部経」の中では,もっとも長い経典であるために,その中の一部を取り出して,浄土教各宗派においては,読誦用として用いている。
たとえば,師の仏である世自在王仏を讃えた詩である「讃仏偈(さんぶつげ)」や,「四十八願」を再び三つの誓いの形にまとめた詩である「重誓偈(じゅうせいげ)」は,この経の中に含まれているものである。
観無量寿仏経/佛說觀無量壽佛經(かんむりょうじゅぶつきょう)
畺良耶舍(きょうりょうやしゃ)訳
(大正大蔵経 No.365)
『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』または『観経(かんぎょう)』ともよばれるこの経典は,浄土教各宗派の根本聖典である「三部経」の一つである。
このお経は,仏教の物語の中でも最も有名な物語の一つである,阿闍世王(あじゃせおう)とその母韋提希(いだいけ)の物語からはじまっている。
すなわち,わが子阿闍世の非道に苦しんでいた韋提希が,遠く釈迦牟尼仏に向かって救いを求めたところ,釈尊はわざわざ彼女のところに出かけてきて,十方にある無数の浄土を示した後に,韋提希が選んだ阿弥陀仏とその西方極楽浄土のありさまとを,「十六観」とよばれる,16種の観察法によって詳しく説明しているのである。
なお経名になっている「無量寿仏」というのは,阿弥陀仏の漢訳名の一つで,「無量光仏」と訳されることもある。
阿弥陀経/佛說阿彌陀經(あみだきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.366)
浄土教の根本聖典である「三部経」の中では最も短いもので,現在でも,法事などの際にしばしば読誦されている。
その内容は,阿弥陀仏の西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の様子がどのようにすばらしいものであるか,ということからはじまり,それでは,その極楽に往生するためには何をしなければならないか,ということが説かれている。
さらに,東・西・南・北・上・下といった六方にいる諸仏が,この阿弥陀仏の徳を讃めたたえていることが述べられ,結論として,この仏を信じ,その名を念ずることによって,西方極楽浄土に往生したい,という願いを起すべきことが薦められている。
大般涅槃経/大般涅槃經(だいはつねはんぎょう)
曇無讖(どんむせん)訳
(大正大蔵経 No.374)
釈尊が入滅する直前に説いた教えを内容としているのでこのようによばれている。
「涅槃」というのは,本来「煩悩の炎を吹き消して悟りの状態に到達したこと」を意味し,釈尊が成道したのが35歳の時であるから,この時が「入涅槃」なのであるが,肉体が消滅しない限り完全に煩悩をなくすことは出来ない,ということから,釈尊の死を「大般涅槃」すなわち,「完全に煩悩の炎を吹き消した偉大なる静けさの状態」とよぶようになり,後代になると,入涅槃だけでも,入滅,すなわち死を意味するようになった。
いずれにせよ,釈尊が亡くなる直前に説いた教えであり,その前後の物語も述べられているので,資料的にも重要なお経である。
仏垂般涅槃略説教誡経/佛垂般涅槃略說敎誡經(ぶっすいはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.389)
一般には『遺教経(ゆいきょうぎょう)』と言われているお経のことで,釈尊が,娑羅双樹(しゃらそうじゅ)のもとにおいて,いよいよ臨終という時に,そこに集まった弟子たちのために最後に説いた教えが述べられている。
すなわち,自分が死んだ後は「三学」とよばれる,戒律・禅定・智慧という3つを実践することによって,悟りに向かって邁進することを弟子たちに勧め,さらに,さまざまな仏教における根本的思想を述べた後に,これが自分の最後の教えである,といってこのお経を結んでいる。
日本においては,仏陀の臨終の教え,ということから広く普及し,特に禅系の宗派において重んぜられている。
地蔵菩薩本願経/地藏菩薩本願經(じぞうぼさつほんがんぎょう)
實叉難陀(じっしゃなんだ)訳
(大正大蔵経 No.412)
釈尊入滅以後は無仏時代(むぶつじだい)と言われ,次に仏と成ることになっている弥勒菩薩(みろくぼさつ)がこの世に出現するまでの間には,仏陀は存在しないわけであるが,その期間にあらわれて衆生を救済するものこそ地蔵菩薩なのである。
この菩薩が,前生において建立した誓願とその利益(りやく)とが説かれているのがこの経典であるが,同時に,この経典自身の不可思議な利益が強調されている。
すなわち,この経典の一句または一偈でも読誦または聴聞することによって,いかなる罪業(ざいごう)もすべて消滅する,と説かれているのである。
般舟三昧経/般舟三昧經(はんじゅざんまいきょう)
支婁迦讖(しるかせん)訳
(大正大蔵経 No.418)
般舟三昧というのは,諸仏現前三昧(しょぶつげんぜんざんまい)とか仏立三昧(ぶつりゅうざんまい)とも言われているように,心を集中することによって,諸仏を眼前に見ることが出来る境地のことであり,この三昧について述べてあるのがこの経典で,その例として,西方極楽浄土に現存する阿弥陀仏を見ることが出来ることが述べられている。
大乗仏教経典としては最も古いものの一つであり,阿弥陀仏について説いてあるものとしては最古の経典である。
ちなみに,この般舟三昧がもとになって,日本においては,「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」とよばれる精神統一の行が行われるようになった。
浄土経典の先駆としての経典といってもよいであろう。
薬師琉璃光如来本願功徳経/藥師琉璃光如來本願功德經(やくしるりこうにょらいほんがんくどくきょう)
玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.450)
薬師如来の功徳を強調し,この仏を信ずることによって,東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい)とよばれる,この仏の世界に生まれることをすすめているのではあるが,同時に,阿弥陀仏の西方極楽浄土や天界への往生をも否定していない。
したがって,それまでの,この世界における現世利益(げんぜりやく)や,浄土往生思想をも包括した,広い立場から述べられている経典である,と言ってもよいだろう。
この薬師如来は,まだ成道する前に,12の大誓願を建立し,衆生の病気を取り除き,身体的障害を治癒することによって,人びとを悟りへと導こうとする立場をとっているので,古くより日本においては広く信仰されてきたが,その根拠とされている経典である。
弥勒下生成仏経/佛說彌勒下生成佛經(みろくげしょうじょうぶつきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.454)
仏教の開祖釈迦牟尼仏が入滅した後は,いわゆる無仏時代に入るわけであるが,この次にこの地上にあらわれて仏陀に成る,と信じられているのが,この弥勒菩薩であり,現在は,一菩薩として,兜率天(とそつてん)において,天人のために教えを説いているとされる。
このように,この弥勒菩薩が,56億7千万年後に,この地球上に下生(げしょう)して,龍華樹(りゅうげじゅ)の下で成仏(悟りを開く)することについて詳しく述べてあるのがこの経典である。
「弥勒六部経」と総称されている6種の経典の中の一つである。
文殊師利問経/文殊師利問經(もんじゅしりもんぎょう)
僧伽婆羅(そうぎゃばら)訳
(大正大蔵経 No.468)
『文殊問経』ともよばれるこの経典には,主として菩薩たるものが守るべき戒律について,釈尊が文殊師利菩薩の質問に対して答える,という形式で述べている。
十戒をはじめとして,菩薩の守るべき戒の詳説が主な部分の内容であるが,その他,悉曇(しったん)とよばれる梵字の50文字について,その仏教的意味を解説し,さらに,小乗二十部とよばれる,小乗内部における20の部派が,どのようにして分れてきたかについても述べてある。
内容からみて,この経典の成立はかなり後代のようで,少なくとも『楞伽経(りょうがきょう)』(34番),『涅槃経(ねはんぎょう)』(20番),『中論(ちゅうろん)』(52番)などが成立してから後に作られたものと推定される。
維摩詰所説経/維摩詰所說經(ゆいまきつしょせつきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.475)
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一般には『維摩経(ゆいまぎょう)』と省略して呼ばれている経典であるが,維摩というのは,大乗仏教の奥義に到達した在家信者の名前で,この人物が病気になったのを知った釈尊が,自分の弟子を見舞いに行かそうとするところから物語がはじまる。
ところが,かつてこの維摩にやりこめられたことのある仏弟子たちは,一人残らず辞退してしまったために,最後に文殊菩薩が見舞い役を引き受け,かくて,維摩と文殊との間で大乗仏教の深い教えについての問答が行われる,という形式をとっている。
聖徳太子が,「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の一つ(107番)にこの経典を取り上げたこともあって,日本においては重要な経典の一つとなっているが,その内容もきわめて劇的であり,しかも,深い大乗思想を知る上において,大きな手がかりともなっている。
月上女経/佛說月上女經(がつじょうにょきょう)
闍那崛多(じゃなくった)訳
(大正大蔵経 No.480)
毘摩羅詰(びまらきつ)という名前の長者の娘で,月上という女性が,将来必ず成仏することが出来るであろうことを保証されているのが,このお経の内容である。
日本における有名なおとぎ話『竹取物語』のもとになったと言われている経典で,この月上は,さまざまな神変奇瑞(じんぺんきずい)をあらわし,最後にはその身を変じて男子となり,出家して仏弟子となることになっている。
おそらく,ここで出てくる毘摩羅詰(びまらきつ)は,維摩(ゆいま)のことであろうと思われるが,少なくともこの経典の中では,この人物は平凡な一長者であって,後の『維摩経』(27番)に出てくるような,大乗仏教思想を体得した人物としては描かれていないので,この経よりヒントを得て,後に『維摩経』が作られたものと考えられる。
坐禅三昧経/坐禪三昧經(ざぜんざんまいきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.614)
『禅経』と省略されてよばれることもある経典であるが,インドにおける何人かの禅の修行者たちの,精神統一の修行法についての要項をまとめたものである。
それまでにも中国には禅の修行法は伝わっていたが,すべて小乗の禅法であった。この経典には,小乗の禅法とともに,大乗の禅法をも述べてあるので,このお経によって,小乗禅と大乗禅との関係が明らかになり,これによって,天台における止観(しかん)とよばれる精神統一の修行や,中国禅が生まれてくることになるので,後世にきわめて大きな影響を与えたお経と言ってもよいであろう。
達摩多羅禅経/達摩多羅禪經(だつまたらぜんぎょう)
佛陀跋陀羅(ぶっだばっだら)訳
(大正大蔵経 No.618)
5世紀の初めごろに,西域地方で精神統一の修行法としての禅観を盛んに説いていた,達摩多羅(だつまたら)と仏大先(ぶっだいせん)との二人が著わしたものであり,それ故に,その中の一人の名が経名につけられている。
本経には,小乗の禅法についての仏大先の所説が中心に述べられており,大乗禅の立場を説いている達摩多羅の所説は欠けている,と言われているが,この経の説く禅の修行法には,きわめて具体的な修行者の心得が説かれているために,実際的指導書として盛んに用いられてきた。
ちなみに,経題の達摩多羅という文字から,禅宗の創始者の菩提達磨(ぼだいだるま)と混同され,その所説として禅門においては重要視されてきた。
月灯三昧経/月燈三昧經(がっとうざんまいきょう)
那連提耶舍(なれんだいやしゃ)訳
(大正大蔵経 No.639)
月光童子(がっこうどうじ)の質問に対して,釈尊が,一切が平等であることを観察する修行法について説く,という形式をとっている。
すなわち,一切の存在には実体が無く,ちょうど夢や幻のようなものである,ということを観察することによって,最上の功徳である悟りを得ることが出来る,ということが,この経を貫く中心思想であり,どうすればそのような境地に到達することが出来るか,ということについて,その方法が詳しく述べられている。
首楞厳三昧経/佛說首楞嚴三昧經(しゅりょうごんざんまいきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.642)
『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』ともよばれるこの経典は,禅法の要義を説いたものである。
すなわち,堅意菩薩(けんいぼさつ)が,釈尊に悟りを得るに至るための精神統一の修行法の中で,最もすぐれた三昧はいかなるものであるかを問うたのに対して,首楞厳三昧,すなわち,あらゆる精神統一法の中で,最も堅固であり,しかも他のすべての修行法をも摂し尽している三昧について詳しく説いている経典であり,いかにこの三昧に威力があり,そして,どのような方法によってこの三昧を修するかについて述べている。
思想的には,『華厳経(けごんぎょう)』(15番),『維摩経(ゆいまぎょう)』(27番),『法華経(ほけきょう)』(12番)の先駆をなすもので,その成立は,紀元前後の頃と推定されている。
金光明最勝王経/金光明最勝王經(こんこうみょうさいしょうおうきょう)
義淨(ぎじょう)訳
(大正大蔵経 No.665)
『金光明経(こんこうみょうきょう)』とか『最勝王経(さいしょうおうきょう)』とも呼ばれている経典であるが,その内容は,この経典を読誦すれば,その国を四天王などの守護神が守ってくれる,ということで,古来日本においては,『法華経』(12番),『仁王経(にんのうきょう)』(10番)とともに,「護国三部経」の一つとして重要視されてきた。
四天王寺が建立され,最勝会(さいしょうえ)とよばれる法会が行われ,さらに全国に国分寺(こくぶんじ)が建てられた,といったことも,すべてこの経典にもとづいて行われたわけであり,そういった意味では,古代の日本仏教に与えた影響にはきわめて大きいものがあった,と言ってもよいであろう。
入楞伽経/入楞伽經(にゅうりょうがきょう)
菩提流支(ぼだいるし)訳
(大正大蔵経 No.671)
『楞伽経(りょうがきょう)』ともよばれる,インド後期の大乗仏教思想を代表する経典である。
すなわち,本来悟りの種子はどんな凡夫にも存在する,とする如来蔵思想(にょらいぞうしそう)と,人間の心の働きを8種類に分類し,その第8番目の識(しき)としての阿頼耶識(あらやしき)を根本識とする思想とを結合した,きわめて重要な教えを述べている経典である。
もっとも,当時の仏教諸学派の説を雑然と集成している点において,いかにも混合思想のようにもみえないわけではないが,後の『大乗起信論』(68番)における立場の先駆の思想としては重要であり,しかも禅宗系統の思想に与えた影響にも大なるものがあるし,その全体の流れの中には,無分別という思想に対する理解,という一貫した立場を見出すことが出来る。
解深密経/解深密經(げじんみっきょう)
玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.676)
法相宗(ほっそうしゅう)における根本聖典で,その内容は,この世の存在や現象が,すべて人間の心からあらわれたものであるとする,いわゆる唯識思想(ゆいしきしそう)について述べられている。
『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』(53番)には,その内容の大部分が引用されているし,『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』(57番),『成唯識論(じょうゆいしきろん)』(54番)といった論書にもしばしば引用されていることからも,後世へ与えた影響にはきわめて大きなものがあった,と言い得る経典である。
4世紀の初頭に作られたと考えられ,大乗仏教中期に属する経典の一つで,全体が8章に分かれ,唯識説が詳しく説かれている。
盂蘭盆経/佛說盂蘭盆經(うらぼんぎょう)
竺法護(じくほうご)訳
(大正大蔵経 No.685)
日本における「盂蘭盆会(うらぼんえ)」すなわち「お盆」の行事は,この経典の内容に由来する。
すなわち,釈尊の弟子の一人であった目連(もくれん)が,餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しむ亡母を救わんがために,師の釈尊の教えにしたがって,修行僧達の修行期間が終る7月15日に飲食(おんじき)を供養(くよう)し,その結果亡母を救うことが出来た,という物語が説かれている。
盂蘭盆という言葉については,餓鬼道に落ちて苦しむありさまをあらわした,「さかさまにぶらさげられる」すなわち,「倒懸(とうけん)」を意味する梵語を音写したものである,とされる。
現在でもお盆の行事が広く日本で行われていることから考えると,この経が与えた影響はきわめて大きい,といってよいであろう。
四十二章経/四十二章經(しじゅうにしょうきょう)
迦葉摩騰(かしょうまとう),竺法蘭(じくほうらん)共訳
(大正大蔵経 No.784)
仏教が中国に伝わった時に,最初に持ってこられた経典である,と言われているが,中国において著わされた,いわゆる偽経(ぎきょう)であるという説もある。
仏教の重要な教えが,42章に分類されて簡明に述べられてあり,一種の仏教入門書と言ってもよいような経典である。
いずれにせよ,その内容がきわめて平易であったために,中国においては広く一般に読まれ,10種類もの異本が作られた。
苦,無常,無我といった仏教の根本思想から,慈悲・布施といった,仏教における重要な実践徳目が,適切な譬えをもって説かれている。
大方広円覚修多羅了義経/大方廣圓覺修多羅了義經(だいほうこうえんがくしゅたらりょうぎきょう)
佛陀多羅(ぶっだたら)訳
(大正大蔵経 No.842)
『円覚経(えんがくきょう)』と省略して呼ばれることもあるこの経典は,文殊をはじめとする12人の菩薩が,仏陀と一問一答する形で展開しているものである。
内容は,大乗仏教における完全な思想としての「円頓(えんどん)」の教えを述べているが,古来,中国において著わされた偽経であると言われている。
禅系の宗派においては重要な経典の一つとして用いられてきたが,日本の道元(どうげん)は,他の大乗経典の内容とは異なっている,という理由によって,これを斥(しりぞ)けている。
大毘盧遮那成仏神変加持経/大毘盧遮那成佛神變加持經(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)
善無畏(ぜんむい),一行(いちぎょう)共訳
(大正大蔵経 No.848)
密教における根本聖典の一つで,一般には『大日経(だいにちきょう)』と言われている経典である。
7世紀の半ばに,西インドにおいて成立したものと推定される。
全体が36章に分かれ,教相(きょうそう)とよばれる密教の教理と,事相(じそう)とよばれる,密教における具体的な儀式の作法(さほう)とが述べられている。
この経典の内容にもとづいて画かれたものを胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)というが,仏の心が,母の胎内に抱かれているような大悲(だいひ)の精神であることを図示しているところから,この名がある。
金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経/金剛頂一切如來眞實攝大乘現證大敎王經(こんごうちょういっさいにょらいしんじつしょうだいじょうげんしょうだいきょうおうきょう)
不空(ふくう)訳
(大正大蔵経 No.865)
『大日経』(39番)と並んで,密教における根本聖典の一つとされている経典であり,普通は,『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』と略して呼ばれている。
「金剛頂」とは,宝石の中のダイヤモンドのように,すべての経典の中での最もすぐれたもの,ということで,悟りの境地に到達するための,密教独自の秘密の儀式の細目が詳しく述べられてあり,この経にもとづいて作られたものが,金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)である。
蘇悉地羯囉経/蘇悉地羯囉經(そしつじからきょう)
輸波迦羅(ゆばから)訳
(大正大蔵経 No.893)
『蘇悉地経(そしつじきょう)』とも略してよばれるこの経典は,真言密教におけるさまざまな儀式についての作法や規則を述べたもので,「三部秘経」とか「五部秘経」とまとめてよばれる,密教における重要な経典の一つとして重要視されている。
「蘇悉地羯囉」というのは,梵語のスシッディカラを漢字に音写したもので,意味としては,「あらゆる行為が完全に成しとげられている」といったことで,「妙成就作業(みょうじょうじゅさごう)」と漢訳されることもある。
ちなみに,翻訳者の輸波迦羅とは,善無畏(ぜんむい)のことで,原梵名の音写である。
摩登伽経/摩登伽經(まとうがきょう)
竺律炎(じくりつえん),支謙(しけん)共訳
(大正大蔵経 No.1300)
インドの階級制度の中では最も低い階級とされている栴陀羅種(せんだらしゅ)に属する摩登伽という名の女性が,釈尊に導かれて仏教に帰依する,という物語が中心になっている経典であり,この中で釈尊は,四姓(ししょう)が平等であることを詳しく述べている。
インドにおける階級制度が,歴史を通してきわめて厳しく社会全体に存在し続けていることを考える時,仏教における四姓平等を主張したこの経典の意味は大きい,と言ってよいだろう。
摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)
佛陀跋陀羅(ぶっだばっだら),法顯(ほっけん)共訳
(大正大蔵経 No.1425)
釈尊が入滅してから100年後ぐらいに,仏教は,戒律の内容に対する解釈の違いから,大きく二つに分裂した。これを根本分裂と言うが,保守的な側を上座部(じょうざぶ)とよぶのに対し,進歩的な側を大衆部(だいしゅぶ)とよんだのである。
そして,この聖典の題に出てくる「摩訶僧祇(まかそうぎ)」こそが,大衆部の梵語であるマハーサーンギカの音写であり,この流れに伝わった戒律の条項が述べられている。
『僧祇律(そうぎりつ)』とか『大衆律(だいしゅりつ)』とも略してよばれ,出家の男子である比丘(びく)の戒と,出家の女子である比丘尼(びくに)の戒とに分けられて詳しく説かれている。
四分律(しぶんりつ)
佛陀耶舍(ぶっだやしゃ),竺佛念(じくぶつねん)等訳
(大正大蔵経 No.1428)
仏教における実践行の中で,日常生活において守るべき規則を定めたものを戒律というが,中国語に訳された多くの戒律に関しての聖典の中,後世最も広く行われたのがこの『四分律』で,内容が4つの部分に分かれているのでこの名がある。
戒律の数は聖典によって異なるが,本聖典では比丘戒(びくかい)として250,比丘尼戒(びくにかい)として348戒が出され,日本においては,平安時代に最澄(さいちょう)によって大乗戒が主張され,後にそれが定着するようになるまでは,これらの戒が出家者の守るべき戒律とされていたのである。
善見律毘婆沙(ぜんけんりつびばしゃ)
僧伽跋陀羅(そうぎゃばっだら)訳
(大正大蔵経 No.1462)
『善見律』または『善見論』ともよばれているこの聖典は,仏音(ぶっとん)/ブッダゴーサが著わした,南方仏教(上座部)に伝わる戒律に対する註釈書である。
したがって,上座部における比丘戒(びくかい)や比丘尼戒(びくにかい)が中心に述べられているが,最初の部分には,第1回から第3回までの経典編集についての記述や,アショーカ王の王子であったマヒンダが,当時のセイロン(スリランカ)に仏教を伝えたこと,などが述べられている。
梵網経/梵網經(ぼんもうきょう)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.1484)
この経典の中で述べられている,「菩薩戒」とよばれる,大乗仏教における戒律こそが,天台宗を創設した最澄(さいちょう)が依り所としたもので,その後の日本仏教が,戒律に関しては,ここに説かれる,十重四十八軽戒(じゅうじゅうしじゅうはちきょうかい),すなわち,10の重要な規則と,48の細則とのみによるようになったことから考えても,きわめて大きな影響を与えた経典であると言えよう。
ここで述べられている梵網戒ともよばれる大乗戒においては,出家と在家との区別をしておらず,すべての仏教徒が共通して守ることになっている点に,大きな特色があるわけである。
大乗の戒律の第一の経典として,中国および日本において重視されてきた。
優婆塞戒経/優婆塞戒經(うばそくかいきょう)
曇無讖(どんむせん)訳
(大正大蔵経 No.1488)
善生長者(ぜんじょうちょうじゃ)という名の仏教信者のために,在家信者の守るべき戒律を説いたものである。
「優婆塞(うばそく)」というのは,梵語のウパーサカの音写で,在家の男性信者を意味する。
主人公の名をとって『善生経(ぜんじょうきょう)』ともよばれているこの聖典には,いわゆる大乗戒,別名菩薩戒とも言われるものが説かれているために,主に大乗仏教を受け入れた中国においてはきわめて重要視された。
おそらく,『長阿含経』(1番)や『中阿含経』(2番)等に含まれている『善生経』(『六方礼経(ろっぽうらいきょう)』)を拡大して,大乗的に改作したものと思われるが,各種の大乗経典を引用している点で,経典成立史上の重要な資料となっている。
妙法蓮華経憂波提舎/妙法蓮華經憂波提舍(みょうほうれんげきょううぱだいしゃ)
婆藪槃豆(ばそはんず)釈・菩提留支(ぼだいるし),曇林(どんりん)等訳
(大正大蔵経 No.1519)
『妙法蓮華経』の註釈書で,別名『法華経論』ともよばれるが,内容的には,鳩摩羅什(くまらじゅう)の漢訳した『妙法蓮華経』(12番)とは一致せず,現存するネパール梵本と類似しているので,本書で取り上げられている経は,別本であったと考えられる。
ちなみに,「憂波提舎(うぱだいしゃ)」というのは,梵語のウパデーシャの漢音写で,「註釈」「論義」「顕示」といった意味で,「論」と訳されることが多い。
十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)
龍樹(りゅうじゅ)造・鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.1521)
本書は,『大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんぎょう)』(15番)の中でも最も重要な「十地品(じゅうじほん)」とよばれる1章の註釈書であるが,菩薩の修行段階の十地の中,最初の二つの段階のみが解釈されている。
したがって,菩薩の十地の註釈書としては未完結なものであるが,全体で35章ある中の第9番目に出てくる「易行品(いぎょうほん)」とよばれる章が,後の浄土教思想に与えた影響にはきわめて大きなものがあった。
この聖典では「十住(じゅうじゅう)」となっているが,これは訳者の鳩摩羅什がこのように訳したのであって,普通は「十地(じゅうじ)」と訳されているものである。
なお,「毘婆沙(びばしゃ)」というのは,梵語のヴィバーシャーの漢音写で,「論」または「註釈」という意味である。
仏地経論/佛地經論(ぶつじきょうろん)
親光(しんこう)等造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1530)
仏陀の境地に到達する前の段階を菩薩とよぶが,その菩薩にも多くの階級がある。その中の最終段階に,十地(じゅうじ)とよばれるものがあり,その第10地を「仏地」と言う。
そして,その仏地についての内容を細かく述べたものに『仏地経(ぶつじきょう)』という名の経典があるが,この経に対して註釈を行ったものが本聖典であり,『仏地論』と略してよばれることもある。
ここでは経典の内容を三つの部分に分割して註釈をしているが,後の註釈書の多くが,本聖典におけるこのような三分方法を採用している,という点において,註釈における1種の模範書となっていると言えるだろう。
阿毘達磨倶舎論/阿毘逹磨倶舍論(あびだつまくしゃろん)
世親(せしん)造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1558)
普通『倶舎論(くしゃろん)』と略してよばれているこの書物は,部派仏教教理の集大成と言ってもよい『阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつまだいびばしゃろん)』の綱要書であり,奈良時代に日本に伝えられた六つの宗派の中の,倶舎宗(くしゃしゅう)の典拠であり,同時に法相宗(ほっそうしゅう)の基本的教学書でもある。
内容は,部派仏教の中の説一切有部(せついっさいうぶ)の教理を批判する立場で書かれたものであるが,それぞれの教理がきわめて要領よくまとめられているので,かえって有部(うぶ)の教理を知るためには実に便利な手引書となっている。
日本においては,法相宗の教義を知る上での基本的書物として,盛んに研究された。
中論(ちゅうろん)
龍樹(りゅうじゅ)造・靑目(しょうもく)釈・鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.1564)
インドにおける中観派(ちゅうがんは)の根本的立場である「中道」について述べた,龍樹/ナーガルジュナの造った445の偈頌(げじゅ)と,それらに対する青目(しょうもく)の注釈とを加えたものが漢訳の『中論』であり,日本においては,奈良時代に伝わった三論宗の根本聖典となっている。
青目による注釈は,龍樹の偈頌に対する解釈の一つにしか過ぎないが,偈頌そのものは,大乗仏教に理論的基礎を与えたきわめて重要なもので,その後の大乗仏教の思想展開の中で多大な影響を与えた。
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
彌勒(みろく)説・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1579)
『瑜伽論』ともよばれている本聖典は中観派(ちゅうがんは)と並んでインドの二大大乗仏教思想の流れの一つとされる瑜伽行派(ゆがぎょうは)/唯識派の根本聖典で,人間の根本識(こんぽんじき)としての阿頼耶識(あらやしき)が説かれ,さらに,仏教におけるさまざまな教義が細かく論述されているので,部派仏教と大乗仏教の思想を研究する上において,欠かすことの出来ない重要な書物と言ってよいであろう。
漢訳では弥勒が説いたものを,無著(むじゃく)/アサンガが記録した,ということになっているが,チベットの伝統では,無著の著作となっている。
成唯識論(じょうゆいしきろん)
護法(ごほう)等造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1585)
世親の著わした『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』(55番)に対する,10人の仏教学者の注釈の中,護法の説を中心として,他の9人の学者の説をも合わせて含めたものである。
人間存在の根本に阿頼耶識(あらやしき)とよばれる根本識があり,その中に蔵せられている過去のあらゆる行為が,現在や未来の行動となって現われるので,この世のあらゆる存在と現象とが,すべて人間の心より生ずるという,いわゆる「唯識説」を展開しているのである。
法相宗の根本聖典であるばかりでなく,すべての仏教学者にとって,一度は学ばなければならない重要な書物である。
唯識三十論頌(ゆいしきさんじゅうろんじゅ)
世親(せしん)造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1586)
(In BDK English Tripiṭaka 16 “THREE TEXTS ON CONSCIOUSNESS ONLY”)
五言四句より成る偈頌が,全部で30あるのでこの名があるが,『三十唯識』,『三十論』,『唯識三十頌』ともよばれている。
法相宗の根本聖典で,この世のあらゆる存在や現象が,人間の心より現われる,という,いわゆる「唯識説」における基本聖典であり,これにもとづいて作られた注釈書が,『成唯識論(じょうゆいしきろん)』(54番)である。
世親によって著わされた書物としては最後のものである,と言われている。
唯識二十論(ゆいしきにじゅうろん)
世親(せしん)造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1590)
五言四句より成る偈頌が全部で20あるのでこの名があるが,それぞれに注釈がついている。
単に唯識説を説いているだけではなく,仏教以外の諸思想における教義や,部派仏教における教義を挙げ,それらを唯識の立場から批判することによって,すべての存在や現象が,人間の根本識より現われていることを主張している。
『成唯識論(じょうゆいしきろん)』(54番)の重要な典拠の一つとなっている聖典である。
摂大乗論/攝大乘論(しょうだいじょうろん)
無著(むじゃく)造・眞諦(しんだい)訳
(大正大蔵経 No.1593)
「摂大乗」というのは,「大乗仏教を包括した」といった意味であるが,その題名のように,唯識説の立場に立った,一種の仏教統一論である。
大乗仏教における教義の綱要を10項目に分類し,1項目に1章をあてて論述している。
この書物を根本典拠として,中国においては摂論宗(しょうろんしゅう)が起こっている。
本書は略して『摂論』ともよばれる。
弁中辺論/辯中邊論(べんちゅうへんろん)
世親(せしん)造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1600)
弥勒(みろく)/マイトレーヤが作った『辯中辺論頌』に対する注釈書で,『中辺論』と略してもよばれるが,真諦(しんだい)/パラマールタ訳では『中辺分別論(ちゅうへんふんべつろん)』という題名になっている。
「中」という大乗における根本思想の立場から瑜伽行派(ゆがぎょうは)の教理を組織した聖典である。
「辺」というのは,互いに対立した極端な観念のことであるが,そういった偏(かたよ)った両極端を離れることが「中」であり,その中道こそが本聖典の根本的立場となっている。
大乗荘厳経論/大乘莊嚴經論(だいじょうしょうごんぎょうろん)
無著(むじゃく)造・波羅頗蜜多羅(はらはみったら)訳
(大正大蔵経 No.1604)
弥勒(みろく)の作った偈頌と,それらに対する注釈とを含めたもので,大乗の教えが最上の教えであり,同時に,人びとを救済する上でも最も勝れた教えであることを主張し,その立場に立って,菩薩たるものが為さなければならない実践綱目を詳しく述べている聖典である。
漢訳では著者は一応無著となっているが,弟の世親が,兄無著の教えを受けて,弥勒作とされる偈頌の注釈を著わしたもの,と言われている。
大乗成業論/大乘成業論(だいじょうじょうごうろん)
世親(せしん)造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1609)
人間の為すすべての行為,すなわち,身業(しんごう)とよばれる身体で行う行為,口業(くごう)とよばれる口で行う行為,そして,意業(いごう)とよばれる心で行う行為のすべてが,唯識説の説く阿頼耶識(あらやしき)から現われたものであることを論証し,部派仏教で説いている業に対するさまざまな説を批判している。
したがって,それまでの業や識についての種々な説を,阿頼耶識という人間の心の根本に存在する識によって統一しているわけである。
究竟一乗宝性論/究竟一乘寳性論(くきょういちじょうほうしょうろん)
勒那摩提(ろくなまだい)訳
(大正大蔵経 No.1611)
平凡な人間の心の中にも,仏になり得る可能性が本来蔵されているという,大乗仏教における「如来蔵思想(にょらいぞうしそう)」を,組織的に説いている代表的な書物で,『宝性論』と略してよばれることが多い。
この思想について述べている多くの経典から豊富な引用を行っているので,初期の如来蔵思想を理解する上において重要な聖典である。
著者の名は出ていないが,中国の伝統では堅慧(けんね),チベットの伝統では偈頌は弥勒,注釈は無著の作としている。
因明入正理論(いんみょうにっしょうりろん)
商羯羅主(しょうからしゅ)造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.1630)
因明というのはインドにおける論理学であるが,その因明の中でも新因明とよばれる新しい学説を確立した,インドの論理学者であった陳那(じんな)/ディグナーガの学説を,彼の弟子であった商羯羅主(しょうからしゅ)/シャンカラスヴァーミン(天主・てんじゅ)が,きわめて平易に,しかも簡潔に述べた入門書である。
陳那自身の作った『因明正理門論(いんみょうしょうりもんろん)』がきわめて難解であるのに対して,前述のようにこの聖典が平易であるために,中国や日本においてしばしば読まれてきた。
『入正理論』とも略される。
大乗集菩薩学論/大乘集菩薩學論(だいじょうしゅうぼさつがくろん)
法稱(ほっしょう)造・法護(ほうご)等訳
(大正大蔵経 No.1636)
大乗仏教を志す修道者である菩薩が学ぶべき教えを集大成したものであり,偈頌と,経典からの引用と,それに対する著者の簡単な解説,という3部の構成になっている。
後期インド仏教の正統派の教えを知る上においての貴重な資料である。
漢訳では著者を法称としているが,梵本では寂天(じゃくてん)/シャーンティデーヴァとなっている。
読み方としては,〈だいじょうじゅぼさつがくろん〉とも読める。
金剛針論(こんごうしんろん)
法稱(ほっしょう)造・法天(ほうてん)訳
(大正大蔵経 No.1642)
仏教の立場より,インドの伝統的宗教である婆羅門教(ばらもんきょう)における,ヴェーダ聖典の権威主義と,婆羅門至上主義とを徹底的に批判し,四姓(ししょう)とよばれる階級思想を否定している書物である。
四姓が平等であるべきことを,多くのたとえ話や物語によって主張し,四姓を認めること自体を激しく攻撃している。
漢訳では著者を法称としているが,梵本では馬鳴(めみょう)/アシュヴァゴーシャとなっている。
彰所知論(しょうしょちろん)
發合思巴(はつごうしは)造・沙羅巴(しゃらば)訳
(大正大蔵経 No.1645)
チベット人であった発合思巴/パクパが,中国の元時代に,時の皇太子に対して与えた仏教綱要書であり,仏教の人生観や字宙観,といったものが述べられている。
その説くところは,全体的には『倶舎論(くしゃろん)』(51番)の構成によっているが,本書独特の思想も散見される。
題名になっている「彰所知」というのは,この書物に述べられている教えによって,「知るべき教えはすべて彰(あきら)かにされる」といった意味である。
原本はチベット語または蒙古語で書かれていたものと思われるが,現存しない。
菩提行経/菩提行經(ぼだいぎょうきょう)
龍樹(りゅうじゅ)集頌・天息災(てんそくさい)訳
(大正大蔵経 No.1662)
全体で8章に分かれ,そのすべてが詩の形式をとっているが,内容としては,仏教の最終目標である悟りの境地に到達するための修行法と,その功徳(くどく)とが述べられている。
著者については,漢訳では龍樹となっているが,梵本とチベット訳においては,ともに寂天(じゃくてん)/シャーンティデーヴァとなっているし,漢訳の中に,「聖龍樹菩薩」とあることからしても,著者自身を「聖」とするわけがないので,おそらく寂天の方が正しいと考えられる。
なお,第1章においては,悟りへの決心をするという,発菩提心(ほつぼだいしん)の功徳が特に述べられており,仏教においては,この,菩提への心を発(おこ)すことこそが重要であることを強調している。
金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論/金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論(こんごうちょうゆがちゅうほつあのくたらさんみゃくさんぼだいしんろん)
不空(ふくう)訳
(大正大蔵経 No.1665)
真言宗において,真言行者が必ず読むことになっている重要な聖典であり,普通は,『菩提心論(ぼだいしんろん)』,『発菩提心論(ほつぼだいしんろん)』と略してよばれている。
精神を統一して,悟りへの心を発すこと,すなわち「発菩提心(ほつぼだいしん)」と,この肉体のままで悟りへと到達するという,「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」とについて説いているのが,この聖典の内容であり,さらに,顕教(けんぎょう)と密教(みっきょう)との相違についても述べられてある。
著者とされている龍猛(りゅうみょう)/龍樹(りゅうじゅ)/ナーガルジュナ?については,古来疑問がないわけではない。
大乗起信論/大乘起信論(だいじょうきしんろん)
馬鳴(めみょう)造・眞諦(しんだい)訳
(大正大蔵経 No. 1666)
大乗仏教における中心的思想が,理論的・実践的の両面から簡単に要約してあるので,古来,大乗仏教への入門書として広く読まれてきた聖典であり,短いものではあるが,仏教史上,きわめて重要な書物であると言ってよいだろう。
すなわち,華厳・天台・禅・浄土・真言といった,大乗仏教の主な宗派は,すべてこの書の内容に影響されているのである。
もっとも,著者や制作場所については疑問が多く,現代でも,インド制作説と中国制作説との二つに分かれているし,馬鳴/アシュヴァゴーシャという人物が,龍樹以前の人か後の人かについても議論のあるところである。
釈摩訶衍論/釋摩訶衍論(しゃくまかえんろん)
龍樹(りゅうじゅ)造・筏提摩多(ばつだいまた)訳
(大正大蔵経 No.1668)
「摩訶衍」というのは梵語のマハーヤーナの音写で,「大乗」を意味するが「摩訶衍論」とは,『大乗起信論』(68番)を指す。すなわち,この書は,前述の『大乗起信論』の註釈書である。
制作場所や著者についても,当然『大乗起信論』と同じく議論のあるところであるが,真言宗においては,創立者の空海(くうかい)が本論を龍樹の真作としたために,古来重要な典籍の一つとして研究され続けてきた。
おそらく,7・8世紀の頃に,中国あるいは朝鮮半島において制作されたものであろうと思われる。
那先比丘経/那先比丘經(なせんびくきょう)
失訳
(大正大蔵経 No.1670)
「経」という名がついてはいるが,これは釈尊の説法ではなく,西暦紀元前2世紀の後半に,西北インドを支配していたギリシア人の国王ミリンダ/弥蘭陀王/メナンドロスと,インドの仏教僧ナーガセーナ/那先が,仏教の教理について問答する形式で述べている。
最後にはミリンダ王がついに出家して仏教に帰依することになっているが,当時の,西洋的思惟と東洋的思惟との違いを知る上においても,きわめて貴重な資料である。
パーリ語聖典においては,三蔵に収められていない蔵外文献であるが,仏教文学としても特にすぐれた内容のものである。ただし,漢訳のものはパーリ語のものとは内容がいささか異なるし,訳語も必ずしも流麗とは言えない。
中国撰述部
般若波羅蜜多心経幽賛/般若波羅蜜多心經幽賛(はんにゃはらみったしんぎょうゆうさん)
窺基(きき)撰
(大正大蔵経 No.1710)
『般若波羅蜜多心経』(11番)すなわち『般若心経』の註釈書で,略して『心経幽賛』ともよばれるが,『般若心経』(玄奘訳)の註釈書としては最初のものである。
『般若心経』の中の一字一句について,法相宗(ほっそうしゅう)の教義の立場から解釈したものであるが,同時に,三論宗(さんろんしゅう)における解釈も入れてある。
妙法蓮華経玄義/妙法蓮華經玄義(みょうほうれんげきょうげんぎ)
智顗(ちぎ)説
(大正大蔵経 No.1716)
『法華文句(ほっけもんぐ)』,『摩訶止観(まかしかん)』(79番)とともに「法華三大部」と言われているもので,略して『法華玄義』とよばれることが多い。
『妙法蓮華経』(12番)という経名の5字を,さまざまな立場から論じたもので,法華思想に立脚した天台宗の教義が詳しく述べてある。
中国における天台宗の開創にとって欠くことの出来ない重要な書物で,天台教義の骨格となっているものの一つである。
天台大師智顗が説いたものを,弟子の灌頂(かんじょう)が整理して筆録したものであるが,単なる理論的な見解ではなく,智顗自身の宗教体験に裏打ちされている点に特徴がある。
観無量寿仏経疏/觀無量壽佛經疏(かんむりょうじゅぶつきょうしょ)
善導(ぜんどう)集記
(大正大蔵経 No.1753)
『観無量寿仏経(かんむりょうじゅぶつきょう)』(18番)の註釈書であり,『観経疏(かんぎょうしょ)』ともよばれるが,四つの部分から成っているので,普通『四帖疏(しじょうのしょ)』と言われている。
善導の浄土思想の中核をなす書物であり,この書が,日本の浄土教に与えた影響にはきわめて大きなものがある。
すなわち,浄土宗の開祖法然(ほうねん)は,源信(げんしん)の著わした『往生要集(おうじょうようしゅう)』(131番)を通してこの書物に出会い,それまでのすべての行(ぎょう)を捨てて「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の道に入ったのである。
その後の浄土教においても,当然ながらきわめて重要視されてきた書物である。
三論玄義(さんろんげんぎ)
吉藏(きちぞう)撰
(大正大蔵経 No.1852)
三論宗の根本聖典である。中国において三論宗を大成した嘉祥大師(かじょうだいし)吉蔵が著わした著作は多いが,その中でも,三論宗の教義を,もっとも簡明に概論したもので,中観仏教の入門書と言ってもよいだろう。
「三論」とは,『中論(ちゅうろん)』(52番),『百論(ひゃくろん)』と『十二門論(じゅうにもんろん)』のことであるが,これに『大智度論(だいちどろん)』を加えた四つの聖典を,なぜこの宗では重視するのか,という理由と,各論の特色や,互いの関連性について述べたものである。
日本の三論宗においては,三論そのものよりも本書が,最も重要な聖典として用いられていた。
大乗玄論/大乘玄論(だいじょうげんろん)
吉藏(きちぞう)撰
(大正大蔵経 No.1853)
中国における三論宗の大成者,嘉祥大師(かじょうだいし)吉蔵の著わした書物の中,最も重要なものの一つで,三論宗の空観中道(くうがんちゅうどう)の立場から書かれた,一種の仏教統一論である。
当時の中国仏教界で学ばれていた多くの大乗経典における思想の主なものが取り上げられ,それらが三論宗の立場から対比論述されているので,三論宗にとっては,『三論玄義』(74番)と並んで,最も重要な典拠の一つである,と言ってもよい書物である。
肇論(じょうろん)
僧肇(そうじょう)作
(大正大蔵経 No.1858)
鳩摩羅什(くまらじゅう)の弟子であった僧肇が著わした4編の著作に,彼の仏教に対する見解の根本的立場を要約した部分を付けたもので,その後の中国仏教に与えた影響にはきわめて大きなものがあった,と言い得る書物である。
『肇論』とは,文字通り「僧肇の著わした論」ということで,『註維摩(ちゅうゆいま)』とともに,彼の代表作の一つと言ってよいであろう。
本書は,仏教教義の中国的理解ないし解釈,といった点に特色があり,仏教教義における重要な問題を,中国思想との関連の中でとらえているところに意味があり,中国仏教が形成されていく上において,きわめて重要な意義を持った,と言える。
華厳一乗教義分斉章/華嚴一乘教義分齊章(けごんいちじょうきょうぎぶんざいしょう)
法藏(ほうぞう)述
(大正大蔵経 No.1866)
一般には『華厳五教章(けごんごきょうしょう)』または『五教章』とよばれている書物で,華厳宗の立場に立った一種の仏教概論であり,華厳宗の教えに対する概説書と言ってもよいであろう。
すなわち,著者である法蔵は,華厳宗の立場に立って仏教を五つの教えに分類し,『華厳経』(15番)を最もすぐれた経典である,としながらも,つねに仏教全体を展望して,それらを体系づけているのである。
原人論(げんにんろん)
宗密(しゅうみつ)述
(大正大蔵経 No.1886)
禅(ぜん)と華厳(けごん)との一致を主張した宗密が,その立場に立って人間存在の根源について論じている書物であり,『華厳原人論』ともよばれる。
まず儒教・道教を批判し,次に小乗と権大乗(ごんだいじょう)を斥(しりぞ)け,その上で真の大乗について説明した後で,最後に,前に批判の対象としてきたすべての立場や思想も,人間存在の真実なる根源があらわれるための縁になっている,ということを説いて,あらゆる教えを統一しようとしている。
摩訶止観/摩訶止觀(まかしかん)
智顗(ちぎ)説
(大正大蔵経 No.1911)
「法華三大部(ほっけさんだいぶ)」(72番参照)とよばれるものの一つで,中国の天台宗の開祖智顗が講述したものを,弟子の灌頂(かんじょう)が筆録したもので,『天台摩訶止観』,『止観』ともよばれている。
天台宗における,自己の心の本性を明らかに観察するという修行の実践について述べられている書物で,天台宗の修行の根本聖典とされている。全体が10章に分かれているが,第8章以下は説かれていないので完結していないが,後世に与えた影響には大きなものがあった。
智顗が自己の宗教体験と実践を通して述べている,という点において,きわめてすぐれた書物,と評価されており,彼を中国仏教史上の第一人者たらしめている書物,といってもよいであろう。
修習止観坐禅法要/修習止觀坐禪法要(しゅじゅうしかんざぜんほうよう)
智顗(ちぎ)述
(大正大蔵経 No.1915)
『童蒙止観(どうもうしかん)』,『小止観』ともよばれている書物で,初心者のために,天台における精神統一の修行法である「止観坐禅(しかんざぜん)」についての要義を述べたものである。
もともと本書は,天台宗の創始者である天台大師智顗が,実兄である在俗の陳鍼(ちんしん)のためにあらわしたものであると言われているように,きわめて簡潔に実践方法をまとめたものであるので,天台宗においては,新しく出家した修行者の必ず読むべき本の一つとして重視されてきた。
天台四教儀/天台四敎儀(てんだいしきょうぎ)
諦觀(たいかん)録
(大正大蔵経 No.1931)
『四教儀』または『諦観録』ともよばれるこの書物は,天台宗における教義の大綱と,実践修行の概略とを述べたもので,天台仏教への入門書,と言ってもよいであろう。
しかも,一般仏教における教義をもあわせて説いてあるので,仏教そのものの入門書としての意味も持っている書物である。
高麗(こうらい)から中国に渡った著者の没後に発見された書物であるが,天台宗の大綱がすべておさめてある。
国清百録/國淸百録(こくせいひゃくろく)
灌頂(かんじょう)纂
(大正大蔵経 No.1934)
天台大師(てんだいだいし)智顗(ちぎ)の没後に,門弟の灌頂が,智顗に関係ある文書や史料を104編集めて,天台山国清寺(こくせいじ)の名前をとって書名としたものであり,智顗の伝記を知る上においての基礎資料となっている。
内容としては,当時の皇帝の詔勅(しょうちょく),智顗にあてた書簡,碑文等,当時のありさまを知るための手がかりになるものが多く,さらに,初期の天台教団を知る上においても,きわめて重要な資料が含まれている。
104編あるのを「百録」としたのは,概数を言ったものである。
鎮州臨済慧照禅師語録/鎭州臨濟慧照禪師語録(ちんしゅうりんざいえしょうぜんじごろく)
慧然(えねん)集
(大正大蔵経 No.1985)
一般に『臨済録』とよばれているもので,禅宗の一派である臨済宗の開祖,臨済義玄(ぎげん)の述べた教えを,弟子の慧然が編集したもので,臨済宗においては,最も重要な語録とされている。
「鎮州」というのは臨済が住んでいた中国における州の名であり,「臨済」とはその土地の名である。
なお,「慧照禅師」というのは,臨済が唐の皇帝より与えられたおくり名である。
仏果圜悟禅師碧巌録/佛果圜悟禪師碧巖録(ぶっかえんごぜんじへきがんろく)
重顯(じゅうけん)頌古・克勤(こくごん)評唱
(大正大蔵経 No.2003)
『碧巌録』,『碧巌集』と略してよばれることが多い聖典であるが,1,700ある『伝灯録』の公案(こうあん)の中から,重顕が,最も重要な100の公案を選び出し,それぞれに偈頌をつけたものに,克勤(圜悟)が評釈をつけたものである。
臨済宗においては最も大切にされ,特に,参禅(さんぜん)のための最高指南書(しなんしょ)とされている。
ちなみに公案というのは,すぐれた禅者の言葉や動作などを,坐禅しようとする者たちに精神統一をする手段として示すために,記録したものである。
無門関/無門關(むもんかん)
宗紹(しゅうしょう)編
(大正大蔵経 No.2005)
中国の宋時代の禅僧無門慧開(むもんえかい)が,古くからある禅の公案(こうあん)の中から48を選び,それぞれに偈頌(げじゅ)と評釈とを加えたもので,古来禅門において最も珍重されている書物である。
他の公案書と比べると,公案の数が少ないことと,参禅者の入門書的な意味もあったために,しばしば利用されてきた。
「無門」というのは,悟りの境地に入るための門はないが,無門という名の眼に見えない門がある,といった意味である。
六祖大師法宝壇経/六祖大師法寶壇經(ろくそだいしほうぼうだんぎょう)
宗寶(しゅうほう)編・法海(ほっかい)等集
(大正大蔵経 No.2008)
禅宗の系譜における第六祖の慧能(えのう)が説いた教えの内容を,弟子の法海が集録したもので,『六祖壇経』とか『壇経』と略してよばれることもあるし,『法宝壇経』とよぶこともある。
その内容は,中国における北宗禅(ほくしゅうぜん)に対して,南宗禅(なんしゅうぜん)の独立を宣言しており,禅における速やかな悟りである「頓悟(とんご)」と,人間の本性を外側にあらわすという「見性(けんしょう)」について述べている。
信心銘(しんじんめい)
僧璨(そうさん)作
(大正大蔵経 No.2010)
禅宗の系譜における第三祖の僧璨が,禅における最高の極地を述べたもので,四言一句からなる偈頌(げじゅ)が全部で146有り,全体でわずか584文字から成る短い聖典である。
あらゆる差別や対立,さらには是非得失(ぜひとくしつ)を離れて,平等自在(びょうどうじざい)の境地に住することこそが,禅における真理である,と説いている。
この偈頌は,多くの禅僧によって愛誦され,禅宗の発展とともに,深く禅堂(ぜんどう)の生活へと浸透していった。
黄檗山断際禅師伝心法要/黄檗山斷際禪師傳心法要(おうばくさんだんさいぜんじでんしんほうよう)
裴休(はいきゅう)集
(大正大蔵経 No.2012-A)
中国の禅宗の一派である黄檗宗の開祖,黄檗希運(おうばくきうん)の説いた教えを,在家の弟子であった裴休が筆録したもので,禅の要旨がきわめて簡潔に説かれている。
希運は,臨済宗の開祖である臨済義玄(りんざいぎげん)の師であり,したがって,臨済禅の基礎を説いた書物として,中国・日本の両方において、しばしば用いられてきた。
ちなみに,「黄檗山」とは希運が住んでいた山の名であり,彼の禅師号(ぜんじごう)が断際である。
なお,一般には『伝心法要』の略名で知られている。
永嘉証道歌/永嘉證道歌(ようかしょうどうか)
玄覺(げんかく)撰
(大正大蔵経 No.2014)
中国禅における第六祖慧能(えのう)に導かれて,一夜にして禅の悟りを得ることが出来た永嘉玄覚(ようかげんかく)が,その悟りの要旨を,247句,全体で814文字から成る古い詩の形でうたいあげたもので,美しい文体による禅の真髄,と言ってよいほどのものである。
古くから禅僧によって誦されてきたが,特に曹洞宗においては重んぜられている。
『証道歌』ともよばれるが,「証道」とは,まさしく「悟りの道を証する」ことである。
勅修百丈清規/勅修百丈淸規(ちょくしゅうひゃくじょうしんぎ)
德輝(とっき)重編
(大正大蔵経 N0.2025)
もともとは,百丈懐海(ひゃくじょうえかい)が禅宗の寺院における規則や戒律を定めたものであったが,『古清規(こしんぎ)』とよばれている懐海の定めたものの原型は,宋代にはすでに散佚(さんいつ)してしまっていたので,元代になって東陽徳輝が,勅命によって完成したものである。
したがって,禅宗寺院において守られるべきあらゆる規範・戒律が含まれているため,広く行なわれた。労働を作務(さむ)とよんで,禅僧の修行徳目の一つとしている点に,仏教の中国化が見られる。本書は,中国において,道教(どうきょう)の規範にも大きな影響を与えた。
異部宗輪論(いぶしゅうりんろん)
世友(せう)造・玄奘(げんじょう)訳
(大正大蔵経 No.2031)
(In BDK English Tripiṭaka 29 “THE TREATISE ON THE ELUCIDATION OF THE KNOWABLE/ THE CYCLE OF THE FORMATION OF THE SCHISMATIC DOCTRINES”)
仏教が,仏滅後100年余の後に,根本分裂とよばれる,大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)とに分かれ,さらにその後,小乗20部とよばれる各派に分かれていった状態を,説一切有部(せついっさいうぶ)の立場から述べた書物であり,さらに,それぞれの部派の教義の相違を詳しく述べている。
部派分裂の歴史を研究する上において不可欠の書物であるばかりでなく,現存の部派仏教の教義書の大部分が,説一切有部のものであることから,他の部派の教義を知る上において,きわめて貴重な資料である,と言うことが出来る。
阿育王経/阿育王經(あいくおうきょう)
僧伽婆羅(そうぎゃばら)訳
(大正大蔵経 No.2043)
西暦紀元前3世紀頃,中インドのマガダ地方に出た,マウリヤ王朝三代目の阿育王/アショーカ王の伝記である。
はじめてインドを統一し,仏教に深く帰依し,使節を送って仏教を伝えた,と言われるこの王についての伝記としては,『阿育王伝(あいくおうでん)』もあり,その順序や内容については本書と一致しているので,同本異訳と思われる。
馬鳴菩薩伝/馬鳴菩薩傳(めみょうぼさつでん)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.2046)
西暦紀元前100年~60年頃にインドにあらわれた馬鳴/アシュヴァゴーシャの伝記である。
この馬鳴についての伝記は,他の書物の中にも出てくるが,その内容は必ずしも一致していないし,年代や出身地等の名前も異なっており,さらには本書の記載についても多くの疑問があるのではあるが,いずれにせよ馬鳴という人物の伝記としては重要なものの一つである。
龍樹菩薩伝/龍樹菩薩傳(りゅうじゅぼさつでん)
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
(大正大蔵経 No.2047)
日本においては,八宗(はっしゅう)の祖とよばれて,すべての宗派において尊崇されている,龍樹/ナーガールジュナ(西暦150年~250年頃)という人物の伝記である。
『付法蔵因縁伝(ふほうぞういんねんでん)』という,釈迦入滅後において,仏教を相伝した28人の高僧の伝記をまとめてあるものの中から,「龍樹」の部分のみを取り出して編纂したのではないか,という説もあるが,訳者が鳩摩羅什ということになっているところからすると,おそらく独立して制作されたものと思われる。
婆薮槃豆法師伝/婆藪槃豆法師傳(ばそはんずほうしでん)
眞諦(しんだい)訳
(大正大蔵経 No.2049)
「婆藪槃豆」というのは梵名のヴァスバンドゥの漢音写で,古くは天親と漢訳されていた人物で,現在では世親(せしん)という新しい訳名の方が用いられている。
この大乗仏教の瑜伽行派(ゆがぎょうは)の根底を築いたと言われる人物についての事績は,多くの書物の中に出てくるが,伝記としてまとまっているものは本書だけである。
『世親伝』,『天親伝』,『婆藪槃豆伝』などともよばれている。
大唐大慈恩寺三蔵法師伝/大唐大慈恩寺三藏法師傳(だいとうだいじおんじさんぞうほうしでん)
慧立(えりゅう)本・彥悰(げんそう)箋
(大正大蔵経 No.2053)
『慈恩寺三蔵法師伝(じおんじさんぞうほうしでん)』ともよばれるが,あの『大唐西域記(だいとうさいいきき)』(100番)の著者である玄奘(げんじょう)の伝記である。その出生から,十数年かかって中国から当時天竺(てんじく)とよばれていたインドヘ求法(ぐほう)の旅をした時の記録,さらには,帰国してからの事績,といった,彼の伝記のすべてが収められている。
『大唐西域記』が実地見聞の地誌等を中心として編集されているのに対して,これは玄奘自身の旅行記を中心に編集されている。
ちなみに,明(みん)代になって書かれた『西遊記』は,本書をモデルとして書かれたものである。
高僧伝/高僧傳(こうそうでん)
慧皎(えこう)撰
(大正大蔵経 No.2059)
『梁高僧伝(りょうこうそうでん)』ともよばれるが,仏教が中国に伝わったとされる西暦67年(後漢の永平10年)から梁代の天監18年(西暦519年)までの,453年間にあらわれた高僧の事績を記録したもので,257人の伝記の他に,243人の略伝が付録として収められている。
一般には,徳の高かった僧の伝記を収めたものを「高僧伝」とよぶが,この種のものとしては最も古いものである。
この書においては,それぞれ高僧のなした徳業の種類によって全体が10に分類されている。
比丘尼伝/比丘尼傳(びくにでん)
寶唱(ほうしょう)撰
(大正大蔵経 No.2063)
中国の東晋時代より梁代に至るまでの,およそ160年の間に出世した65人の比丘尼すなわち女性の出家者たちの伝記を収めたものである。
序文によれば,かつてはさまざまな徳高き尼僧が存在していたのに,梁代の,この伝記が編纂された当時には,比丘尼の中で厳しく戒律を守っているものが数少なくなってきたので,将来の比丘尼たちの模範とすべく,碑文の記録や,古老の記憶,さらにはいろいろな記録を集めて本書を作った,となっている。
高僧法顕伝/高僧法顯傳(こうそうほっけんでん)
法顯(ほっけん)記
(大正大蔵経 No.2085)
『法顕伝(ほっけんでん)』,『仏国記(ぶっこくき)』,『歴遊天竺記伝(れきゆうてんじくきでん)』などともよばれる,法顕自身の書いたインド旅行記である。
すなわち,西暦399年に求法の旅に出た法顕が,西域(さいいき)の南道を通って西北インドに入り,各地の塔寺を歴訪しながら中インドに達し,仏跡を巡拝したり,経や律の書を学んだり書写したり,さらには,海路セイロン島/スリランカ島に渡り,412年に,再び中国に帰着するまでの見聞の記録である。
5世紀初頭における,インドと西域における,仏教および仏教文化に関する貴重な資料であり,仏教僧のインド旅行記としては,現存する最古のものである。
大唐西域記(だいとうさいいきき)
玄奘(げんじょう)訳・辯機(べんぎ)撰
(大正大蔵経 No.2087)
『西域記(さいいきき)』とも言われるもので,西暦627年に中国を出発し,645年に再び中国に帰着するまでの,玄奘の,西域・インドヘの旅行記で,玄奘が書いた旅行記録にもとづいて,弟子の辯機が編集したものである。
インド,西域で,彼自身が訪れた110ヵ国と,伝聞した28ヵ国についての,仏教事情や地理・風俗・産業・政治などについての報告書であり,当時の貴重な史料と言ってよいであろう。
距離や方角,物の大きさなどを示し,原語は正しく表音しているので,古代の地誌としてこれほどすぐれたものは他にはない。また,考古学的な発掘や探検には欠くことの出来ない案内書でもある。
唐大和上東征伝/遊方記抄: 唐大和上東征傳(とうだいわじょうとうせいでん)
元開(げんかい)撰
(大正大蔵経No.2089-7)
奈良時代に日本に戒律を伝えた唐の鑑真(がんじん)の伝記で次のような三つの部分から成っている。
すなわち,第1部は,鑑真が仏教の門を叩いてから日本の留学僧に出会うまでの伝記であり,第2部は,前後6回に及ぶ日本への渡航の記録であり,そして第3部は,日本へ到着してから滅するまでの略伝である。
この中の最も中心的な部分は第2部で,いかに鑑真一行が渡日するまでに苦労したかが詳しく述べられている。日本への仏教伝来についての具体的な資料としてもきわめて貴重な文献である。
弘明集(ぐみょうしゅう)
僧祐(そうゆう)撰
(大正大蔵経 No.2102)
「弘明」というのは「弘道明教(ぐどうみょうきょう)」ということで,仏教の教えを明確にして弘める,という意味である。
すなわち,本書は,中国の梁時代の僧祐が,過去500年間に書かれた,仏教に関する有益な論書を集めたものである。
最初の11巻は,儒教・道教からの批判に対する仏教側の回答であり,儒仏道三教の同異を明かし,後の3巻には,仏教教義を直接的にあらわしているものを集めている。
一般の人びとにも解りやすいようになっているので,当時の仏教の事情を知る上においての貴重な資料となっている。
法苑珠林(ほうおんじゅりん)
道世(どうせ)撰
(大正大蔵経 No.2122)
現代的にいうと,仏教百科辞典とも書うべき書物で,仏教の思想・術語・法数(ほっすう)等を各別に概説した上で,種々な聖典から豊富な引用を行っている。引用聖典の中には,現存しないものも含まれているので,貴重な資料となっている。内容的に分類して引用されているので非常に便利であり,古来多くの学者によって用いられている。
全体が100篇に分類され,さらに668の項目に分かれて説明されている。
南海寄帰内法伝/南海寄歸内法傳(なんかいききないほうでん)
義淨(ぎじょう)撰
(大正大蔵経 No.2125)
『大唐南海寄帰内法伝(だいとうなんかいききないほうでん)』というのが正式の名前で,『南海寄帰伝』と略されることもある。
義浄が,西暦671年に中国を出発して,インドと南海諸国を歴訪した際に,現地で見聞した,戒律の実際や,僧院生活のありさまを詳しく述べたもので,現地で制作し,中国の僧侶たちのために故国に送ったものである。
すなわち,中国における当時の戒律の状態に反省を与えるために,インドや南海諸国における戒律の厳しさを示したものといえる。
南海諸国の仏教教団の組織や,戒律のありさまを知る上において貴重な資料である。
梵語雑名/梵語雜名(ぼんごぞうみょう)
禮言(らいごん)集
(大正大蔵経 No.2135)
中国において日常用いられていた漢語の中から1205の漢語を取り上げ,その一つ一つに,梵語すなわちサンスクリット語の対訳をつけたもので,一種の漢梵辞典となっている。
これらの漢語は,内容別に分類されているので,梵語の初心者にとっては,大変便利に出来ている。
しかも,梵語の対訳には,漢字音写とともに悉曇(しったん)文字が出されているので,当時の梵語についての知識の程度を知る上においてもきわめて貴重な資料である。
日本撰述部
勝鬘経義疏/勝鬘經義疏(しょうまんぎょうぎしょ)
聖德太子(しょうとくたいし)撰
(大正大蔵経 No.2185)
『勝鬘経(しょうまんぎょう)』(16番)に対する注釈疏で,聖徳太子の手になるといわれている「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の中では,最初に制作されたものと考えられる。
『日本書紀』の記述として,太子が推古天皇に対して『勝鬘経』を講讃(こうさん)した,とあるので,おそらく太子が,この経の主人公が勝鬘夫人(しょうまんぶにん)という女性であったことから,日本最初の女帝であった推古天皇のために講義をし,後に書物としてまとめたものと考えられる。
いずれにせよ,日本人によって著された最初の著作であることだけは間違いがない。
維摩経義疏/維摩經義疏(ゆいまきょうぎしょ)
聖德太子(しょうとくたいし)撰
(大正大蔵経 No.2186)
『維摩経(ゆいまぎょう)』(27番)に対する注釈書で,まとめて「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」とよばれているものの一つである。
太子がこの経を選んだ理由としては,この経の主人公である維摩居士(ゆいまこじ)が,出家した比丘ではなく,在家の一菩薩であったことが,太子自身の立場と類似しているから,と考えられている。
本書が太子の著書であることに対して疑問が投ぜられたこともあるが,現在のところ,他の二つの注釈書とは違う著者によって制作されたとする決定的証拠はなく,三書とも聖徳太子の作とするのが最も適当であるとされている。
法華義疏(ほっけぎしょ)
聖德太子(しょうとくたいし)撰
(大正大蔵経 No.2187)
『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』(12番)すなわち『法華経』に対する注釈書で,まとめて「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」とよばれている太子の三部作の一つである。
中国におけるこの経に対する注釈書を参考にしながらも,随所に著者独自の意見が見られ,そういった意味では,仏教思想に対するはじめての日本的解釈,と言うことが出来よう。
この経の内容を,著者が「一大乗」と位置づけたことが,後の日本仏教に与えた影響はきわめて大きく,日本の仏教史を通して,『妙法蓮華経』は,最も重要な経典の一つとして重要視されているのである。
般若心経秘鍵/般若心經祕鍵(はんにゃしんぎょうひけん)
空海(くうかい)撰
(大正大蔵経 No.2203-A)
現在でも多くの日本仏教宗派によって用いられているのが『般若心経(はんにゃしんぎょう)』(11番)という名の経典であり,古来,この経典に対する注釈書はきわめて多いのであるが,本書は,この経を密教の経典であると断定して,真言密教の立場から注釈をしている点に特色がある。
すなわち,密教の立場からこの経典の大意・経題・翻訳の同異について論じた後に,経を五段に分けて解釈しているのである。
『心経秘鍵(しんぎょうひけん)』ともよばれているこの書は,巻末の文によると,天下に疫病がはやった際に,天皇の勅によって撰述したことになっている。
大乗法相研神章/大乘法相研神章(だいじょうほっそうけんじんしょう)
護命(ごみょう)撰
(大正大蔵経 No.2309)
淳和(じゅんな)天皇の勅命によって,各宗がそれぞれ自己の宗義(しゅうぎ)を要約して朝廷に提出したものが,「天長六本宗書(てんちょうろくほんしゅうしょ)」とまとめてよばれているものであるが,本書もその一つで,法相宗(ほっそうしゅう)の宗義を述べたものである。
著者の護命は,平安初期における最も有名な仏教学者であり,多くの著述をしたようであるが,現存するものは本書のみである。
これは,単に「六本宗書(ろくほんしゅうしょ)」の一つである,ということで重要であるばかりでなく,日本における唯識思想(ゆいしきしそう)を知る上においてもきわめて大切な資料であるといえる。
観心覚夢鈔/觀心覺夢鈔(かんじんかくむしょう)
良遍(りょうへん)撰
(大正大蔵経 No.2312)
「観心」というのは,人間の心を離れては外界の事物は存在しない,ということを観察することであり,「覚夢」というのは,このような観心によって迷いの夢から覚めて真理を悟ることを意味する。
すなわち,本書は,唯識(ゆいしき)の教学の立場から,鎌倉新仏教に対抗して,唯識と大乗仏教との教理を融合させた論文であり,唯識思想の入門書とでもいえるものである。
著者は,華厳・律・浄土の教学についての理解にも立っているので,きわめて特異な唯識論が展開されている書物である。
律宗綱要(りっしゅうこうよう)
凝然(ぎょうねん)述
(大正大蔵経 No.2348)
(In BDK English Tripiṭaka 9 “THE COLLECTED TEACHINGS OF THE TENDAI LOTUS SCHOOL / THE ESSENTIALS OF THE VINAYA TRADITION”)
同じ著者による,奈良の六宗と平安の二宗とを略説した『八宗綱要(はっしゅうこうよう)』(136番)という書物もあるが,本書は,特に(戒)律宗だけにしぼって,その教えと弘通(ぐずう)の綱要とを詳しく記述したものである。
すなわち,戒律というものが,仏教実践行の中でいかなる位置にあるかを述べ,部派仏教時代から大乗に至るまでのそれぞれの具体的な戒律について,実践者の立場から説き,これらの戒律の条項が,インドから中国,さらには日本へと伝来し,それが著者の時代までにどのように変遷しながら伝わってきたかを述べている。
天台法華宗義集(てんだいほっけしゅうぎしゅう)
義眞(ぎしん)撰
(大正大蔵経 No.2366)
(In BDK English Tripiṭaka 9 “THE COLLECTED TEACHINGS OF THE TENDAI LOTUS SCHOOL / THE ESSENTIALS OF THE VINAYA TRADITION”)
平安初期の淳和(じゅんな)天皇の勅命によって,各宗がそれぞれの宗義(しゅうぎ)を述べたものに「六本宗書(ろくほんしゅうしょ)」とまとめてよばれているものがあるが,本書もその一つで,天台宗の要義を集録したもので,『天台宗義集(てんだいしゅうぎしゅう)』と略してよばれることもある。
天台宗における主要の教義のほとんどが,きわめて簡明に述べられているので,天台宗の宗義を知る上においては大変便利である。
顕戒論/顯戒論(けんかいろん)
最澄(さいちょう)撰
(大正大蔵経 No.2376)
それまでの小乗戒に反対して,大乗戒を主張した最澄が,『山家学生式(さんげがくしょうしき)』(115番)に含まれている三種の天台宗の僧侶の守るべき法規集を朝廷に提出して勅許をもとめたところ,奈良の仏教側からの強い反対にあってなかなか許可が下りなかった。そこで最澄が,「四条式」とよばれている,最後に提出した法規集に対する奈良仏教側の反論に対してそれを細かく引用しながら,小乗戒を固守することは決して正しいことではない,ということを論証しているのが本書である。
結局のところ,最澄の生前には大乗戒は許されなかったが,彼の死後7日目に勅許が下り,天台宗は,奈良の仏教とは離れて独立した宗派となったことを考えると,この書が日本の戒律思想に与えた影響はきわめて大きかったと言える。
山家学生式/山家學生式(さんげがくしょうしき)
最澄(さいちょう)撰
(大正大蔵経 No.2377)
日本天台宗の創立者である著者が,天台宗で養成する若い僧侶たちの守るべき規則をまとめたもので,「六条式」とよばれる6項目より成る「天台法華宗年分学生式(てんだいほっけしゅうねんぶんがくしょうしき)」,「八条式」とよばれる8項目より成る「勧奨天台宗年分学生式(かんじょうてんだいしゅうねんぶんがくしょうしき)」,そして,「四条式」とよばれる4項目より成る「天台法華宗年分度者回小向大式(てんだいほっけしゅうねんぶんどしゃえしょうこうだいしき)」という,三種類の規則集を総称して『山家学生式』とよんでいるのである。
当時,一人前の僧侶として政府より認められるためには,小乗戒を受ける必要があったが,それに対して最澄は,『梵網経(ぼんもうきょう)』(46番)にもとづいて大乗戒を主張し,政府に対してその許可を求めるために3回にわたって提出したものがこの書になっているのである。
秘蔵宝鑰/祕藏寶鑰(ひぞうほうやく)
空海(くうかい)撰
(大正大蔵経 No.2426)
平安時代の初期に,淳和(じゅんな)天皇の勅命によって各宗の代表者がそれぞれの宗義(しゅうぎ)を述べたものが六書あるが,その中で,真言宗の宗義を述べたものが,同じ著者による『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』という名の,10巻より成る大部の書物であった。ところが,他の宗派のものに比べてあまりにも大部なものであったために,もっと簡略なものをと要請されて著わしたのがこの書物である。
したがって,この書は,真言宗の立場を明確にするために,仏教諸宗派をはじめとして,インドや中国の諸宗教をも含めた「十住心教判(じゅうじゅうしんきょうはん)」を設立し,最高住心に真言宗を摂しているという形をとっている書物なのである。
ちなみに,『十住心論』を広論とよぶのに対して,これは略論とよばれている。
弁顕密二教論/辨顯密二敎論(べんけんみつにきょうろん)
空海(くうかい)撰
(大正大蔵経 No.2427)
略して『二教論』ともよばれるこの書物は,文字通りに「顕教(けんぎょう)」と「密教(みっきょう)」という,仏教における二つの流れの浅深優劣(せんじんゆうれつ)を比較し,密教こそがすぐれた教えであることを述べているものである。
すなわち,それぞれの教えを説いている仏・説かれている教えの内容・仏に成るまでの期間・教えによって得ることの出来る利益といった四つの点から論じ,そのすべての点において密教の方が顕教よりもすぐれていることを,多くの聖典を引用することによって論証している。
即身成仏義/卽身成佛義(そくしんじょうぶつぎ)
空海(くうかい)撰
(大正大蔵経 No.2428)
それまでの仏教では,「三劫成仏(さんこうじょうぶつ)」とか「歴劫成仏(りゃくこうじょうぶつ)」といって,きわめて長期間の輪廻転生の結果仏に成ることが出来る,と説かれてきたのであるが,この書の中で空海は,現在のこの身のままで仏に成ることが出来る,という意味の,「即身成仏」を説いている。
すなわち,真言密教の立場から,即身成仏の理論と実践とを述べた書物であり,その後の日本仏教に与えた影響を考える時,思想的にきわめて重要な意味を持ったものである,ということが出来る。
声字実相義/聲字實相義(しょうじじっそうぎ)
空海(くうかい)撰
(大正大蔵経 No.2429)
真言宗においては,三密といって,人間の行う身体と口と心の行為は,本来が仏の三つの行為と同じである,ということから,身密・語密/口密(くみつ)・意密/心密を説くのであるが,その中の語密について述べたものが本書である。
すなわち,『大日経』(39番)にもとづいて,声宇(しょうじ)(音声と文字)の本体は,真理そのものを具現している大日如来の徳の表示であるから,真言こそが真理の表現である,ということを述べているのである。なおこの,言葉と文字こそが真実そのものである,という立場から,真言宗という名が由来している。
吽字義(うんじぎ)
空海(くうかい)撰
(大正大蔵経 No.2430)
「吽(うん)」というのは梵語のフームの漢音写で,「阿」が字音の最初の文字であるのに対して,これは字音の最後の文字なのである。
この「吽」という文字について,その字相と字義について説いた書物で,真言密教においては,必ず読まなければならない重要な聖典の1つとされいてる。
字相については顕教(けんぎょう)の立場から解釈がなされているが,字義については密教の立場からの解釈がなされている。
五輪九字明秘密釈/五輪九字明祕密釋(ごりんくじみょうひみつしゃく)
覺鑁(かくばん)撰
(大正大蔵経 No.2514)
西方極楽浄土に往生する,という思想・信仰が興(おこ)りはじめていた平安時代の末期という時代に生きた著者は,密教の立場から,大日如来と阿弥陀如来とは一体平等であり,密厳浄土(みつごんじょうど)と極楽浄土とが同じ場所であり,そして往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)であることを明かしている。
すなわち,「五輪」というのは地水火風空という,この地上に存在するものの五つの構成要素であり,「九字」というのは阿弥陀如来の真言で,九つの梵字から成っているが,この五輪と九字とが同一体であるから,阿弥陀如来と大日如来とが同体である,ということを論証している。
密教の立場からの阿弥陀仏観・浄土観を明らかにしたものとして注目される。
密厳院発露懺悔文/密嚴院發露懺悔文(みつごんいんほつろさんげもん)
覺鑁(かくばん)撰
(大正大蔵経 No.2527)
新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の開祖とされている著者は,41歳の時にすべての公職をしりぞいて,密厳院の一室にこもって1,500日に及ぶ無言三昧に入ったが,その時に作ったのが,七字一句からなる合計44句のこの詩文である。
全体の内容は,自分自身だけではなく,他のすべての人びとが犯した罪をもかわって懺悔(さんげ)しようとするものであり,絶対懺悔とでもよぶべきものである。
おそらくその当時の僧侶たちが堕落している姿をなげいた著者が,懺悔という形をかりて,仏教界に警告を与えようとしたものであろうが,現在でも,彼の流れを汲む宗派においては,一日に一度はこの懺悔文が読誦されている。
興禅護国論/興禪護國論(こうぜんごこくろん)
榮西(えいさい)撰
(大正大蔵経 No.2543)
禅を独立した宗とすることこそが,仏教のためにも国家の繁栄のためにも必要である,ということを主張した書物である。
すなわち,日本に臨済宗を伝えた著者が,天台宗をはじめとする旧仏教側から非難された時に,「禅を興すことこそが,日本という国を護る」ことになるのだ,ということを力説したものである。
全体が10章にわかれているが,論述はすべて仏教聖典からの引用文を典拠として行われている。
なお,はじめに栄西の略伝が序としてつけられているが,この部分の著者は不明である。
普勧坐禅儀/普勸坐禪儀(ふかんざぜんぎ)
道元(どうげん)撰
(大正大蔵経 No.2580)
曹洞宗の開祖である著者が,西暦1227年に中国から日本に帰国した直後に書いたのが本書で,坐禅の本当の意味を明らかにし,坐禅を実践することの重要性を強調している。
道元にとっては,坐禅は悟りのための手段ではなく,坐禅こそが仏道修行のすべてであり,そして坐禅を行ずることがそのまま成仏である,としていたのである。そして本書は,そういった彼の坐禅に対する純粋な考えを広めるために書かれたものであり,曹洞宗開創の根底をなしているのである。
わずか786文字から成る短い文章であるが,内容は必ずしも理解し易いものではない。
正法眼蔵/正法眼藏(しょうぼうげんぞう)
道元(どうげん)撰
(大正大蔵経 No.2582)
Eng. Shōbōgenzō: The True Dharma-eye Treasury
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曹洞宗の開祖道元の主著で,和文によってその宗義(しゅうぎ)を示したものである。
はじめ100巻にするつもりであったようだが,病没のために95巻で終っている。
著者は,自己の立場を明らかにするために,他の仏教諸宗における立場との相違をきわめて詳しく述べているので,彼の思想の全体がわかるようになっている。
「正法眼蔵」というのは,仏陀が一生の間かかって説いた正しい教え,という意味であるが,本書の中には,著者の思想的・実践的立場を通して,仏教の教義・聖典・生活・実践のすべてが述べられている。
日本人によって書かれた思想書としては,最もすぐれたもの,として高く評価されている。
坐禅用心記/坐禪用心記(ざぜんようじんき)
瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)撰
(大正大蔵経 No.2586)
曹洞宗の太祖であり,総持寺(そうじじ)の開山でもあった著者が,坐禅の目的・意義,さらには,坐禅に対する具体的な注意について述べたものであり,曹洞宗の僧侶にとっては,欠くことの出来ない重要な書物である。
たとえば,食事の量を節することは身を調(ととの)えるためには大切である,とか,ぜいたくな服やよごれた服を着ること,さらには,歌舞音曲にふけること,などを厳しく注意する,といったような,きわめて具体的な問題をはじめとして,曹洞宗の坐禅が,三学の中の定(じょう)ではなく,三学をすべて含んでいるものである,といったことまでを明らかにしている。
選択本願念仏集/選擇本願念佛集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)
源空(げんくう)撰
(大正大蔵経 No.2608)
一般には『選択集(せんちゃくしゅう)』とよばれているもので,浄土宗の開祖である法然(ほうねん)/源空の主著であり,したがって,浄土宗における根本聖典でもある。
全体が16章に分かれ,浄土に往生するための根本原因が,念仏である,ということについて,「浄土三部経」(17番,18番,19番),『観経疏(かんぎょうしょ)』(73番)をはじめとする,多くの浄土聖典からの引用文によって詳しく解釈されている。
奈良や平安の旧仏教諸宗を批判し,浄土門独自の立場を体系的に主張した書物であったために,旧仏教側からの反駁はきわめて強く,著者の存命中をはじめとして,多くの反論が書かれたのではあるが,日本において浄土教が独立してくるためには,最も重要な書物であった,ということが出来るであろう。
顕浄土真実教行証文類/顯淨土眞實敎行證文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)
親鸞(しんらん)撰
(大正大蔵経 No.2646)
略して『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』とよばれているものであり,著者の主著であると同時に,浄土真宗の根本聖典でもある。
多くの仏教聖典からの引用文を集めて,浄土真宗の教義を明らかにしようとしており,出来るだけ著者自身の文を少なくしようとしている点に特色があり,したがって,仏教聖典からの引用文によって,彼の思想を体系化せんとしたものである。
ちなみに,第8代の蓮如(れんにょ)によって,浄土真宗信者の日常読誦用の聖典として定められ,現在でも広く読誦されている「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」は,本書の「行(ぎょう)巻」の最後に出されているものである。
歎異抄(たんにしょう)
(大正大蔵経 No. 2661)
浄土真宗の開祖とされている親鸞の没後に,真宗の信心とは違った説を主張するものが出てきたために,それらの異義を批判し,真宗信者の疑問を解決するために,親鸞自身の生前の言葉を書き残して,他力本願(たりきほんがん)の真意を明かそうとしたものである。
全体が18章に分かれ,前半の10章には,作者が直接親鸞から聞いた言葉をそのまま載せ,後半の八章には,さまざまな異義と,それに対する批判とが出されている。
日本で作られた仏教書としては,おそらくもっともよく知られたものであり,多くの外国語にも翻訳されているが,明治時代になるまでは,一般には公開されていなかった。
作者については異説もあるが,現在では唯円(ゆいえん)であることが一応定説となっている。
蓮如上人御文(れんにょしょうにんおふみ)
圓如光融(えんにょこうゆう)編
(大正大蔵経 No.2668)
『御文章(ごぶんしょう)』とか『御文(おふみ)』ともよばれているもので,浄土真宗の第8代蓮如(れんにょ)が,真宗教義について信者たちに宛て書いた手紙を,後に編集したもので,80通が5巻に分けて入れられている。
編者については疑問がないわけではないが,第9代の実如(じつにょ)が,自分の子どもの円如に命じて編集させたもの,といわれている。
その内容がきわめて理解し易いことから,浄土真宗の各派においては,現在でも読経(どきょう)や説教の際に読誦(どくじゅ)され続けているので,現代人にとっても親しみ深い文章が多いはずである。
往生要集(おうじょうようしゅう)
源信(げんしん)撰
(大正大蔵経 No.2682)
比叡山の恵心院(えしんいん)に住んでいた源信が,阿弥陀仏の西方極楽浄土に往生することに関して述べてある大切な文章を,多くの仏教聖典の中から撰んで編集したものである。
日本における地獄・極楽の思想の源泉とでも言うべき書物で,本書が後世に与えた影響は大きく,単に仏教界や思想界だけではなく,文学や芸術の分野においても深い影響を与えた。
特に,本書における念仏思想の影響を受けて,後に浄土教の諸宗派が独立してくるのであり,そういった意味では,浄土教における基本聖典の第一に挙げてもよいだろう。
全体が10章に分かれ,最後の第10章においては,問答の形で答えているので,浄土教の教えが明確にわかるようになっている。
立正安国論/立正安國論(りっしょうあんこくろん)
日蓮(にちれん)撰
(大正大蔵経 No.2688)
日蓮宗の開祖である日蓮の代表的著作の一つであり,鎌倉幕府に提出した書物である。
その当時の社会が,さまざまな天災・人災によって乱れていることの理由から説きはじめ,社会全体が,正しい教えである『法華経』(12番)を信ずることによって,日本という国には災害がなくなり,国全体が安らかになる,ということを主張したものである。
国に正しい教えがないから災難が起こり,このままだと他国によって侵略されて国が滅びてしまうであろう,といった危機感に立って,邪教として念仏をもっぱら非難し,そのことを,多くの聖典から文章を引用して証明しようとしている。
ちなみに,この本を書いたことによって,結局日蓮は伊豆に流されることになる。
開目抄(かいもくしょう)
日蓮(にちれん)撰
(大正大蔵経 No.2689)
日蓮の代表的著作の一つであるが,この書物は,伊豆と佐渡に流されるという二つの受難を経験した日蓮が,それらの受難を動機として書いたもので,そういった立場から『法華経』(12番)を見直したものである。
「開目」というのは,文字通り目を開かせる,ということで,人びとを,低い段階より最高の『法華経』の真髄へと導くことを意味している。
和文体で書かれているので,一般の信者向けに書いたものと思われる。
観心本尊抄/如來滅後五五百歳始觀心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)
日蓮(にちれん)撰
(大正大蔵経 No.2692)
日蓮宗において最も重要視されている聖典であり,この中で著者は,「観心本尊」すなわち,本尊に対面して題目(だいもく)を唱える,という形式と教義とを説いているのである。
心にとらえらるべき宇宙の根本真理は,『妙法蓮華経』(12番)として表現され,その中にすべてが含まれている,と日蓮は信じ,したがって,その題目を「南無妙法蓮華経」という形で唱えることによって,現在のこの身このままの中で,仏の世界にひたることが出来る,というのが,この書において日蓮が主張している立場なのである。
父母恩重経/父母恩重經(ぶもおんじゅうぎょう)
(大正大蔵経 No.2887)
人間にとって,父母の恩がいかに重いものであるかを説き,彼等の恩に報いるために,盂蘭盆(うらぼん)の供養を行い,この経を読誦し書写するべきである,ということが述べられている。
経典としての形式や内容の不自然さからみて,中国で作られたものと考えられる。
おそらく,中国において,仏教が儒教の影響を受けてから作られたものと思われるが,中国や日本においては広く受け入れられ,文学作品にも引用されたり,多くの注釈書が作られもした。
蔵外
八宗綱要(はっしゅうこうよう)
凝然(ぎょうねん)撰
(蔵外)
八宗というのは,奈良時代に日本に伝わった六宗と,平安時代に最澄(さいちょう)と空海(くうかい)によってそれぞれ創始された二宗とのことであり,それら各宗の歴史と教義とが,簡明に記述されているので,一種の日本仏教入門書として,古来多くの人びとによって読まれてきた。
上巻には,序説に続いて,倶舎宗(くしゃしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・律宗(りっしゅう)についての記述があり,下巻には,法相宗(ほっそうしゅう)・三論宗(さんろんしゅう)・天台宗(てんだいしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・真言宗(しんごんしゅう)について述べた後,禅宗(ぜんしゅう)と浄土宗(じょうどしゅう)とについても簡単な紹介がなされている。
問答体によって各宗の宗名・典拠としての聖典・伝承の系譜・主な教義,といったものが概説されており,しかも,インド・中国・日本へと仏教が伝えられたその簡単な歴史も含まれているので,きわめて便利な日本仏教の解説書といってよいだろう。
三教指帰/三敎指歸(さんごうしいき)
空海(くうかい)撰
(蔵外)
真言宗を創設した空海の,いわば出家宣言書とでもいうべき書物で,彼の処女作でもある。
18歳の時に草稿本としての『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を書き,本書は,24歳の時に修訂して完成したもの,といわれている。
「三教」とは,儒教・道教・仏教の三種の教えのことで,これらの優劣を論じ,仏教の出家となることこそが,本当の意味の忠孝の道であることを主張することによって,当時の著者のまわりの者からの批判をしりぞけている。
文章もまことに美しく,空海の文学者としての素質をみごとに浮きぼりしている書物といえる。
末法灯明記/末法燈明記(まっぽうとうみょうき)
最澄(さいちょう)撰
(蔵外)
Eng. The Candle of the Latter Dharma
釈尊滅後には,正法(しょうぼう)・像法(ぞうほう)・末法(まっぽう)の順に,段々と正しい教えが実践されないようになる,という考え方が仏教にあるが,本書は,著者の時代はすでに末法とよばれる時期に近づいているので,戒律を守らないからといって,それが出家者の資格を失わせるものではない,ということを主張して,奈良の仏教側の固守する小乗の具足戒(ぐそくかい)を批判したものである。
この考え方は,鎌倉の新仏教諸宗には大いに歓迎され,宗祖たちが,自分たちの著した多くの書物に引用することによって,末法における僧侶の在り方を正当化しているので,その後の日本仏教の戒律に対する受け取り方に与えた影響にはきわめて大きなものがある。
しかしながら,最澄の真撰か否かについては議論のあるところで,現在のところ,まだその結論は出されていない。
十七条憲法/十七條憲法(じゅうしちじょうけんぽう)
聖德太子(しょうとくたいし)撰
(蔵外)
『日本書紀』の中では『憲法十七条』となっているが,西暦604年に作られた,日本最古の成文法である。
文字通りに,17条から成っているが,現在の法律や憲法などとは違って,当時の諸役人や豪族達に対する,一種の政治的・道徳的訓戒である。
皇室の権威の尊厳性や,公正な政治,などを強調しているが,全体的に仏教精神がみられ,さらに,儒教の徳目も散見される。
特に,第1条の「和を以って貴(とうと)しと為す」や,第2条の「篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬(うやま)え」といった言葉は有名であるし,最後の第17条にある,「それ事は独り断ずべからず」という言葉は,現代的にみれば,民主主義の先駆とでも言ってよいような思想である。
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