日台関係の前途は波高し (2008年08月号)
5月20日、馬英九が第12代中華民国総統に就任した。李登輝・陳水扁二人の台湾人(本省人)総統時代はここで幕が下り、中国人(外省人)が再登場した。
陳政権の8年間は日台関係のゴールデン・エージだと、関係者一同、口を合わせて賞讃しているが、それもやがて終りを迎えるだろう。
6月1日夕刻、ホテルオークラ東京において離任が予想される台湾駐日代表処の許世楷代表と盧千恵夫人を送る「許世楷代表ご夫妻送別会」が開かれ、政財界はじめ全国各地から有縁の人々約八百人が駆けつけ、盛大に行われた。
挨拶に立ったのは、安部晋三(前首相)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、金美齢(評論家)、詹徳勲(日本中華聯合総会会長)、ジュディ・オング(歌手・女優)、阿川佐和子(文筆家)、中川昭一(衆議院議員)。 限られた時間内でより多くの方にお言葉を頂けなかったのが残念だが、それでも予定の時間を大幅に超過し、空腹を抱えてイライラした出席者も少なくなかった。発案者の一人として、私は先ず送る会がこの場所に決定した経緯から話を始めた。
打合せの会合で、事務局はすでに池袋所在のホテルを予約済み、予定参加者五百名と報告した。私は即座にその案を否定し、その場でオークラに電話するよう求めた。千名を収容できる宴会場が必要だし、人の集りやすい都心でなくてはならない。予算を心配する事務局に対して、赤字になったらその時考えればよいと、押し切った。
台湾駐日代表処が毎年10月10日に主催する「双十節」のパーティには千名を越える参加者がいる。ご招待なら出席するが、1万円の会費だったら出てこないような人は少ないのではないか、と考えた次第である。日本人は義理堅い人たちだと信じているとまで言い切った。
かくして当日、めでたくホテル・オークラの平安の間にて八百名の参加者を迎えることになった。それはそれとして、大切な話しは許世楷代表の4年間(2004年-2008年)である。
許氏代表在任中にノービザで短期滞在が可能になり、運転免許を日台相互で承認。日台関係は年間250万人が相互に行き来する関係にまで発展した。
前任者羅福全代表(2000年-2004年)の貢献も忘れてはならない。この二人の駐日代表は陳政権の最も成功した人事であるとの言葉に、会場から大きな拍手が起こった。
羅・許代表ともに長年の同志である。台湾独立建国聯盟の盟員として、蒋介石政権からブラック・リストに載せられ、30年以上も故郷台湾に帰省できなかった仲間だ。羅は国連公務員として活躍し、許は津田塾大学で副学長まで務めた。この二人の業績から立派な外交官の資質、条件が見えてくる。
能力が問われるのは当然だが、先ずは自分が代表する国を真に愛しているか、が最重要課題であろう。
同じ時期、駐米代表は外省人だった。彼らは陳政権の為に働くなど、露ほども思わず、結局米台関係は史上最低の状態に陥った。
二人の駐日代表は共に親日の台湾人。日本に留学し、言葉・学識・人縁共に優れ、何よりも台湾を愛し、台湾建国の為に生涯を捧げている。後任の人選は未だ決らない(6月12日現在)。この二人の後が難産になるのは目に見えている。日台関係の前途も波高しと言わざるを得ない。
5月20日、選挙に大勝した国民党は謙虚のかけらもみせていない。新旧交代の儀式後、馬英九は総統府前広場で慶祝式典を挙行せず、場を台北ドームに移した。旧総督府を避けいのだろう。国民党主席など相次いでの北京詣でが始まり、台湾はすでに中国のブラックホールに引き寄せられている。
6月5日、産経新聞は「台湾総統が軌道修正」「天安門事件批判せず」とのタイトルで、「台湾の馬英九総統は4日、天安門事件から19 周年にあたっての談話を発表した。この中で総統は四川大地震への対応を評価して「(中国の)改革開放はすでに一定の成果があがった」と中国の立場に理解を示し、人権やチベット問題についての批判はなかった。」と報道している。
台湾海峡が中国の内海になるのは時間の問題だ。今や最前線は日本に移った。その現実を認識し、重責を担う覚悟はあるのか。日本人の決心が問われている。
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