2010年12月28日 星期二

トップ > とどろき仏教入門 > 「南無阿弥陀仏」念仏にはどんな意味があるのですか?

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(質問)「一回でも念仏を称えたら極楽へ往ける」というのが親鸞聖人の教えですよね?
 親鸞聖人といえば、「南無阿弥陀仏」を思い浮かべる人も多いでしょう。最も身近でしかも誤解されているのが、この「なむあみだぶつ」かもしれません。
 世間では、「念仏さえ称えていれば、だれでも極楽へ往けると教えられたのが親鸞聖人」と思われていますが、それは大変な間違いです。親鸞聖人の教えを正確に伝えられた蓮如上人は、
「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、極楽に往生すべきように思いはんべり。それは大に覚束なきことなり」(御文章)
と、何度もその誤りを正しておられます。
 では、「なむあみだぶつ」とは何でしょうか。この機会によく知っていただきたいと思います。
「南無阿弥陀仏」のことを六字の御名号といいます。名号とは、分かりやすく例えるならば、阿弥陀仏という名医が、私たちの重い心の病を見るに見かねて、何とか助けてやりたいと作ってくだされた「お薬」です。
 何のために生まれ、生きるのか。死ねばどうなるのか、分からない。未来への不安を抱えて生きているのが、すべての人ではないでしょうか。名号には、その暗い心をぶち破り、大安心の明るい心にしてくださる絶大なお力があるのです。
 親鸞聖人は「功徳の大宝海」と言われ、蓮如上人は、
「『南無阿弥陀仏』と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり」(御文章)
〝南無阿弥陀仏という文字は、たったの漢字六字だから、そんなすごい働きがあると思えないだろう。だがこの六字の名号には、想像を超えた、私たちを絶対の幸福にする、広大無辺なお力があるのだよ〟と、教えられています。
 そんなものすごい働きがあると思えないのは、猫に小判、豚に真珠で私たちに値を知る知恵がないからです。
蓮
 釈迦四十五年の一切経は、いわば阿弥陀仏が精魂込めて完成された「南無阿弥陀仏」という薬の効能書きです。しかもお釈迦さまは「私は生涯、名号の大功徳一つ説き続けたが、説き尽くせなかった」とおっしゃって、お亡くなりになっています。
 この六字の妙薬は、阿弥陀仏が、私たちにのませて助けるために作られたものですから、私たちが受け取らなければ、そのご苦労は水泡に帰してしまいます。仏法を真剣に聞き抜いて、この南無阿弥陀仏を頂いた時、私たちの一切の苦しみは解決し、〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟と、生命の歓喜を得るのだと聖人は教えられました。
 この南無阿弥陀仏の大功徳を丸もらいしたことを、「信心決定」とか「信心獲得」といわれるのです。
■念仏は何のため?
 では、念仏とは何でしょうか。
 南無阿弥陀仏の特効薬を頂いて(信心獲得)、苦しみに沈んでいた人生が明るく楽しい人生に大転換しますと、その喜びのあまり阿弥陀仏にお礼を言わずにいられなくなります。そのお礼の言葉が、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と口に称える念仏なのです。
 五十年か百年の肉体の命を延ばしてもらってさえ、どんなに感謝せずにおれないか分かりません。ましていわんや、無量寿の命を頂いて、永遠の幸福に救われた幸せはとても言葉になりません。
 お礼の言葉は、日本人なら「ありがとう」ですが、アメリカやイギリスの人なら「サンキュー」、フランス人なら「メルシー」、中国人なら「謝謝」と相手によって変わります。
 阿弥陀仏に対しては、「南無阿弥陀仏」と称えることがお礼なのです。
(まとめ)○「念仏さえ称えていれば助かる」というのは、親鸞聖人の教えではありません。
○親鸞聖人の教えは、「信心一つで助かる」という教示です。
○南無阿弥陀仏の大功徳を私が丸もらいしたことを「信心獲得」といいます。
○信心獲得して弥陀に救われたお礼に称えるのが念仏です。

(質問)「一回でも念仏を称えたら極楽へ往ける」というのが親鸞聖人の教えですよね?
 親鸞聖人といえば、「南無阿弥陀仏」を思い浮かべる人も多いでしょう。最も身近でしかも誤解されているのが、この「なむあみだぶつ」かもしれません。
 世間では、「念仏さえ称えていれば、だれでも極楽へ往けると教えられたのが親鸞聖人」と思われていますが、それは大変な間違いです。親鸞聖人の教えを正確に伝えられた蓮如上人は、
「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、極楽に往生すべきように思いはんべり。それは大に覚束なきことなり」(御文章)
と、何度もその誤りを正しておられます。
 では、「なむあみだぶつ」とは何でしょうか。この機会によく知っていただきたいと思います。
「南無阿弥陀仏」のことを六字の御名号といいます。名号とは、分かりやすく例えるならば、阿弥陀仏という名医が、私たちの重い心の病を見るに見かねて、何とか助けてやりたいと作ってくだされた「お薬」です。
 何のために生まれ、生きるのか。死ねばどうなるのか、分からない。未来への不安を抱えて生きているのが、すべての人ではないでしょうか。名号には、その暗い心をぶち破り、大安心の明るい心にしてくださる絶大なお力があるのです。
 親鸞聖人は「功徳の大宝海」と言われ、蓮如上人は、
「『南無阿弥陀仏』と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり」(御文章)
〝南無阿弥陀仏という文字は、たったの漢字六字だから、そんなすごい働きがあると思えないだろう。だがこの六字の名号には、想像を超えた、私たちを絶対の幸福にする、広大無辺なお力があるのだよ〟
と、教えられています。
 そんなものすごい働きがあると思えないのは、猫に小判、豚に真珠で私たちに値を知る知恵がないからです。
蓮
 釈迦四十五年の一切経は、いわば阿弥陀仏が精魂込めて完成された「南無阿弥陀仏」という薬の効能書きです。しかもお釈迦さまは「私は生涯、名号の大功徳一つ説き続けたが、説き尽くせなかった」とおっしゃって、お亡くなりになっています。
 この六字の妙薬は、阿弥陀仏が、私たちにのませて助けるために作られたものですから、私たちが受け取らなければ、そのご苦労は水泡に帰してしまいます。仏法を真剣に聞き抜いて、この南無阿弥陀仏を頂いた時、私たちの一切の苦しみは解決し、〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟と、生命の歓喜を得るのだと聖人は教えられました。
 この南無阿弥陀仏の大功徳を丸もらいしたことを、「信心決定」とか「信心獲得」といわれるのです。
■念仏は何のため?
 では、念仏とは何でしょうか。
 南無阿弥陀仏の特効薬を頂いて(信心獲得)、苦しみに沈んでいた人生が明るく楽しい人生に大転換しますと、その喜びのあまり阿弥陀仏にお礼を言わずにいられなくなります。そのお礼の言葉が、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と口に称える念仏なのです。
 五十年か百年の肉体の命を延ばしてもらってさえ、どんなに感謝せずにおれないか分かりません。ましていわんや、無量寿の命を頂いて、永遠の幸福に救われた幸せはとても言葉になりません。
 お礼の言葉は、日本人なら「ありがとう」ですが、アメリカやイギリスの人なら「サンキュー」、フランス人なら「メルシー」、中国人なら「謝謝」と相手によって変わります。
 阿弥陀仏に対しては、「南無阿弥陀仏」と称えることがお礼なのです。
(まとめ)○「念仏さえ称えていれば助かる」というのは、親鸞聖人の教えではありません。
○親鸞聖人の教えは、「信心一つで助かる」という教示です。
○南無阿弥陀仏の大功徳を私が丸もらいしたことを「信心獲得」といいます。
○信心獲得して弥陀に救われたお礼に称えるのが念仏です。

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