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南無阿弥陀仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/09/21 09:50 UTC 版)
仏教 |
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基本教義 |
縁起 四諦 八正道 三法印 四法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 一切皆苦 波羅蜜 |
人物 |
釈迦 十大弟子 龍樹 |
如来・菩薩 |
仏の一覧 |
分類 |
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宗派 |
仏教の宗派 |
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聖典 |
経蔵 律蔵 論蔵 |
聖地 |
八大聖地 |
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阿弥陀仏は、みずからの名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い、衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代って完成し、これを名号(南無阿弥陀仏)に収めて衆生に回向している。
善導は、「南無」の二字と「阿弥陀仏」の四字、合わせて六字に関する釈義(六字釈)で明らかにしている。親鸞はこれから「南無阿弥陀仏」は衆生が浄土に往生する因であるから、名号のいわれである「まかせなさい。必ず救うぞという仏の呼び声」を聞信すべきであるという。親鸞は名号を本尊とし、六字のほかに九字、十字の名号を書いている。ちなみに、親鸞は「南無」を「なも」と発音しているから、浄土真宗本願寺派では「なもあみだぶつ」と呼び習わしている。俗に「なまんだぶ」「なんまいだー」としばしば唱えられる。
願行具足
上記、善導の六字釈によって示される解釈。願とは、「南無」と阿弥陀仏に帰命する衆生の願い。行とは、衆生を救うための阿弥陀仏の修行。この双方が「南無阿弥陀仏」と仕上がっているので、菩薩が行わなくてはならない「発願」と「菩薩行」の2つが、名号に完備しているという説。機法一体
融通念仏、浄土宗西山派、浄土真宗および時宗で説く、他力の教義を表す要語。機とは衆生の信心(=南無)。法とはその衆生を救う阿弥陀仏の本願力(=阿弥陀仏)。衆生の機と阿弥陀仏の法が一体不離となって「南無阿弥陀仏」となっているとする解釈。関連項目
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南無阿彌陀佛と同じ種類の言葉
「南無阿彌陀佛」の用例一覧
- 一枚起請文 (Wikisource)者のさたし申さるゝ觀念の念ニモ非ズ。叉學文をして念の心を悟リテ申念佛ニモ非ズ。たゞ往生極楽のタメニハ南無阿彌陀佛と申て疑なく往生スルゾト思とりテ申外二ハ別の子さい候はず。但三心四修と申事ノ候ハ皆決定して南無阿彌陀佛...ja.wikisource.org/wiki/一枚起請文
- 木下尚江 佐野だより (青空文庫)二艘を大八車に打ち載せ舟の前に斜めに切りたる青竹數竿を鉾の如くに裝ひたるを挽き、同勢之に從ひ、野州安蘇郡界村の助役野口春藏と言へるは筒袖に韮山笠を戴き南無阿彌陀佛と書きたる白旗採つて馬上に指揮せり、若し警官の之を制止せんとするに逢へば、かの...www.aozora.gr.jp/cards/000525/files/43025_23831.html
- 長谷川時雨 佃のわたし (青空文庫)と御自分がみんなの爲に、ああなすつたのだとよ、 豪 ( えれ ) いな、眼があるのだ、有難い話ぢやねえか。 あしたの 紅顏 ( こうがん ) 夕 ( ゆふ ) べに 白骨 ( はつこつ ) となる、ほんとだ、まつたくだ、南無阿彌陀佛...www.aozora.gr.jp/cards/000726/files/47637_34273.html
南無阿彌陀佛に関連した本
- 南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫) 柳 宗悦 岩波書店
- わたしの「南無阿弥陀仏」 ひろ さちや 佼成出版社
- 柳宗悦・宗教選集〈第4巻〉南無阿弥陀仏・一遍上人 (1960年) 柳 宗悦 春秋社
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