2011年2月1日 星期二

西方極楽浄土の夢:父は熱心な仏教徒です。肺炎を繰り返して奇跡的に回復していま

西方極楽浄土の夢:父は熱心な仏教徒です。肺炎を繰り返して奇跡的に回復していま...nasubi7ennさん

西方極楽浄土の夢:父は熱心な仏教徒です。
肺炎を繰り返して奇跡的に回復していましたが、肺炎の間隔が短くなり、いよいよお迎えが近づいたことをかんじます

阿弥陀如来の西方極楽浄土に渡れますか?

どんな世界ですか

詳しく教えてください。

名前を呼ばれて手をぎゅっと握られ、他は無言ですがドラマのシーンみたいな毎日が続いていました。

父ちゃんは3日前に3ヶ月ぶりに他の言葉をしゃべり喜んでいましたが。

3ヶ月前に俳句を2首よんでから一月無言、その後名前だけを言うまで回復していましたが。

補足 皆さん、ご回答ありがとうございました。
予想以上の迫力ある回答をいただきました。
しかし中にはとんでもない回答もあります。



父は熱心な浄土真宗の信者です。




元気な時はずっとお寺の役員をしていました。
釈迦如来のお考えはお浄土の肯定であり、現在残る原始仏典ではいたるところで、死後のすばらしい世界が述べられています。

ふむむ、そうですね<最後に、心に浄土はない。この娑婆世界の外に浄土がある。>
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質問日時: 2010/10/18 10:08:01
解決日時: 2010/10/24 23:48:57
回答数: 7
お礼: 知恵コイン 500枚
閲覧数: 139
ソーシャルブックマークへ投稿: Yahoo!ブックマークへ投稿 はてなブックマークへ投稿 (ソーシャルブックマークとは) ベストアンサーに選ばれた回答pukuma_teddybearさん

極楽往生ですか・・・そうですね。私は往生できると信じております。

ちょうど、ffkinsai_moonさんが回答しておりますが、よくある否定なので、この回答を『踏み台』にして回答をさせてもらいます。

『①阿弥陀如来の西方極楽浄土が無いからです。』
時折、学会員を見ると本当に法華経を学んでいるのか、疑問にあるのですが・・・
浄土真宗や浄土宗などを初めとする浄土教では、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、そして阿弥陀経)を根拠とし、極楽往生できると信じております。
ただ、それだけではなく、法華経にも阿弥陀如来の記述があります。
「西方二仏。一名阿弥陀。二名度一切世間苦悩。」(法華経化城喩品第七)
極楽浄土は西方にあり、この記述と一致します。他にも法華経の中には薬王菩薩本事品第二十三の中にも阿弥陀如来の記述があり、安楽国土への往生、つまり極楽浄土への往生について書かれています。

さて、念仏を唱えれば、極楽往生できるという根拠について、無量寿経の第十八願がその根拠となりますが、その前に、法華経からの念仏の正当性について述べたいと思います。
「一称南無仏 皆已成仏道」(法華経方便品第二)
ここでいう南無仏とは御仏の名を称名することつまり、南無阿弥陀仏と念仏を称えることも含まれ、御仏の名を称えることは、皆、成道することができると言っているわけであります。
これは、ffkinsai_moonさんが言われる『②念仏の浄土門を信仰されている方は、死んで無間地獄へ堕ちる宿命だからです。』の否定であります。

では、話を無量寿経に話を戻します。
「たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」
極楽浄土は阿弥陀如来の仏国土です。阿弥陀如来は法蔵菩薩と言われていたときに、一切の衆生が苦しみ喘いでいる姿を見て、一切の衆生を救いたいと願い、48の誓願を立て、阿弥陀如来となられました。
そのうちの、最も重要なもの、それが第十八願であります。
「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国(極楽浄土)に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」
私は、浄土真宗の門徒なので、親鸞聖人の解釈を採ります。
「わずか十回でも念仏して」とありますが、そもそも、私たちが生まれる以前から、阿弥陀如来はいらっしゃるわけであり、さらに法蔵菩薩が成仏し阿弥陀如来となられたわけでありますので、既に私たちが阿弥陀如来を深く信じ奉る以前に、念仏もあり、極楽浄土もあり、また極楽往生のお約束をご用意していただいたといえるわけであります。
また、阿弥陀如来のお姿は、私たちの心を照らす智慧と慈悲の光明であります。
私たちは、生きていく中で様々な苦悩を抱え、罪を犯さずにはいられない存在であります。罪を犯すということについていえば、何も殺人や窃盗といった犯罪ばかりではありません。生きていく中で、心無いことを言ってしまい、他人を深く傷つけることもあれば、他人に嘘をついてしまうこともあります。そんなとき、私たちの心の中には、後ろ暗い影のようなものができます。そのような後ろぐらい心を隠したくもなりますし、また、自分たちが救われがたいと思うときもあります。

では、なぜ後ろ暗い影のようなものがあると感じるのでしょうか。それは、私たちの心の中を照らす光があり、その光こそが人としてあるべき姿を示されているからであります。
確かに私たちは、阿弥陀如来を目で見ることができません。しかし、光がなければ影もできませんし、闇もできません。それと同じく、私たちの心が照らされるからこそ、私たちが作った影があることを知り、智慧と慈悲によって心が照らされていることが判ります。
つまり、私たちの心の中に阿弥陀如来の願が差し向けられているわけであり、それに気がついたとき、深く念仏を称えることができるわけであります。いうなれば、極楽往生を目指すために念仏が称えられるのではなく、阿弥陀如来の智慧と慈悲がすでに私たちの心に届き、気がついたからこそ念仏を称えずにはいられなくなるわけであります。

それゆえ、極楽往生を願う心が生まれ、念仏を称えようという心が生まれたということは、阿弥陀如来の本願は真実であると感じることができ、また極楽往生は決定的なものであると、私は思うわけであります。

字数の制限がありますので、極楽浄土については割愛させてもらいますが、端的に述べれば、私たちが阿弥陀如来に智慧と慈悲の光明が照らし、真実がいかなるものか、人としてあるべき姿とは一体何であるのかを知ることができます。そのあるべき姿が全うできる世界であると考えていただければよろしいかと思います。

違反報告 回答日時:2010/10/18 17:41:29
質問した人からのコメント
topさんのご回答はじめ渾身の回答が多かったですね。
南無阿弥陀仏という言葉は古い古い言葉のようですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1027788035
http://www.youtube.com/watch?v=PW0rRPtXr9g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=v29_d_Jra-w&feature=related

素晴らしい回答ありがとうございました。 コメント日時:2010/10/24 23:48:57

この質問・回答は役に立ちましたか? 役に立った! お役立ち度:2人が役に立つと評価しています。

ベストアンサー以外の回答
(6件中1〜6件)

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dnxwd690さん

おはようございます。今、目に留まりました。緊急事態なので申し上げます。
様々なご回答が寄せられていますが、全く気にされないで下さい。
貴殿は、ご尊父様の西方極楽浄土に往生される事だけを願い集中されて下さい。

西方極楽浄土に往生を遂げる為には、傍らの人、つまり、あなたの存在が必要です。どんな世界かは、【浄土三部経】において釈尊が説示されていますので、理解されて下さい。簡単に申し上げますが、弥陀佛国土は、衰退しない。つまり無常のない世界です。あとは、観経曼陀羅に見る世界が西方極楽世界である。

では、何をすべきかを伝えます。これが、最重要な事です。実践されて下さい。あなた自身、ご尊父様の往生を心に願い、口に念仏を称えて下さい。枕元でご尊父様の、吐く息・吸う息にあわせ、繰り返し繰り返し吐かれる時に『南無阿弥陀佛』と耳元で称える。これだけです。
選択本願の念仏で、報身の阿弥陀佛が来迎され、ご尊父様は西方の極楽浄土に往生されます。

では、誠に恐縮ですが、正念往生を遂げさせる為の事でございます。他のご回答者様もご理解下さい。失礼ながら貴殿がここで得た情報には、西方極楽浄土に往生する信仰が無い方も回答に加わっています。

まず、閻魔大王に審議される→念仏者は、西方の極楽に『即得往生』と釈尊が説かれていますので、閻魔大王に出会う事はない。最初のご回答者様です。この理解は違いますが、とてもいい事を言われています。弥陀が説法をされている所。そうです。まさしくその通りです。往生人は弥陀の説法を聞くのです。聞ける世界が極楽です。

天上のうちに極楽がある→ありません。六道の中に極楽は無い。この六道の外に極楽がある。六道から出て離れる。出離するのが仏教の教え。弥陀はこの六道から救うと言っている。この方法がお念仏である。六道輪廻の世界から極楽に往き生まれる事。これが往生と言う事也。

西方極楽浄土は無い・死んだら無→釈尊が舎利ホツ尊者に、『これより西方十万億の佛国土を過ぎた所に世界有り』と説く。釈尊自ら指方立相されているのであるから、仏の佛語を信じ、無知の凡夫の戯言として聞き流すが良い。

無間地獄・地獄の相→お念仏の信仰の無い他宗の祖師が言われる事である。法華経に見出す教えとされるが、わが祖師も法華経を繰り返し繰り返し読破されている。わが祖師が選択されたお念仏である。念仏して無間地獄に堕ちると釈尊が法華経で説示されているならば、我が祖師は念仏を選択されてはいない。これはたんなる他宗の祖師の理解不足でもあり。引き寄せパンダであろう。結果独自創作の教えに過ぎず佛説ではない。また、回答されている方も○○学会の人である。信仰の違う人の回答である。気をつけなくてはならない。

最後に、心に浄土はない。この娑婆世界の外に浄土がある。

以上、貴殿はご尊父様の往生を願い口に南無阿弥陀仏と申すだけです。
これで必得往生。
極楽浄土に渡れるのは、お念仏を称えたからです。
だから阿弥陀佛の来迎があるのです。

違反報告 編集日時:2010/10/21 20:16:36 回答日時:2010/10/19 09:14:21 toptoptripさん

西方極楽浄土は、どんな世界か教える世界じゃないはずです。「穢土に生まれし、我が身といえど、心は浄土に遊ぶ」と言います。故に、信じる心を持って、初めて見ることが出来る世界といえると思います。あなたの父ちゃんが、病に冒され苦しんでいるなら、病のない世界でしょう。金に困っているなら、お金に困らない世界でしょう。阿弥陀如来の「48の願」がかなった世界でありますから、48の願い(一般的な不幸)の無い世界と考えられる世界であると思います。もちろんあなたの父ちゃんも、阿弥陀様を信じていれば、いけるに違いないと思います。要は、心がどのように動くかと言うことではないかと私は考えています。
阿弥陀を信じて、地獄に堕ちてもそれは試練であり必ず阿弥陀様は救ってくれると思います。

違反報告 回答日時:2010/10/19 02:43:55 shamosikaさん

キリスト教徒やイスラム教徒が上記質問を見たら・・・「行くわけないだろ!、全ての人類は神が創りしものである」と否定されるでしょう。併せて「神を信じぬ者は地獄orそのまま消えて終わるだけ」と言うのでしょうね。[キリストなら多分、神の愛を受け入れ、信じた者は天国or復活するとなると]

>>阿弥陀如来の西方極楽浄土に渡れますか?

答えるにしても、「どの道を歩まれたのか」にもよります。天台宗、黄檗宗、浄土宗、浄土真宗といくつかに分かれますので。それだけの「道」が有ります。

私はまだ行った事はありませんので「聞いた」と答えます。・・・煩悩の途絶えた世界だと聞きます。憎悪も愛という偏りも無い世界です。慈悲に包まれた世界です。真実が明らかになった世界です。他者の為に心から全てを尽くしていける世界です。・・・・そして、この人生を生き生かされる「もっともな生きがい」になる世界・・・と聞いております。

よくお知りになりたいとの事になれば、質問者さんがその人生の時間を掛けて訪ねて下さい。それが何より詳しく判る術です。

違反報告 回答日時:2010/10/18 21:32:46 feebisuさん

極楽浄土は一切の苦から解放され清浄で慈悲と喜びに溢れた世界

・・・だそうですけど、そもそもお釈迦さまがそういうのは全部妄想だって切り捨てちゃってるんですよね。
葬式仏教が客寄せで言ってるだけです。人間は死ねば無。
でも、その方がいいですよ?清浄な世界でお香ばっか嗅いで阿弥陀仏の説教ばっか聞いて何時までも退屈しながら生きてるって、現代人の価値観からすると一種の地獄だと思いません?


違反報告 回答日時:2010/10/18 17:40:14 ffkinsai_moonさん

我は、学会如来改め多宝如来 と号す。

>阿弥陀如来の西方極楽浄土に渡れますか?

お気の毒ですが、西方極楽浄土には行けないと思います。
理由は2つあります。
①阿弥陀如来の西方極楽浄土が無いからです。
②念仏の浄土門を信仰されている方は、死んで無間地獄へ堕ちる宿命だからです。
熱心であればあるほど、悪業をどんどん積み上げてきたことになります。

日蓮大聖人は「念仏無間地獄」と仰せで、その証明として命終して“地獄の相”になるのです。

【地獄の相】
『顔・体は一回り小さく縮まり、顔は頬がこけ、肌はどす黒く変色し、口は開き、そして体は非常に硬くなり、胸で手を組ませるのも、お棺に入れるのも非常に苦労する事になります。』

日蓮大聖人の御書 報恩抄 に書かれている地獄の相と完全に一致し、それは日蓮大聖人在世の時代(鎌倉時代末期の北条執権幕府の時)は、転変地異、飢饉、疫病、による悪世であり、真言宗や禅宗の難行道に比べ、悪世のこの世は諦めて念仏を唱えるだけで、阿弥陀如来の西方極楽浄土へ行けると説いた念仏が、民衆の中に急激に広まった時代でした。
それでも道には死人があふれ、いよいよ地獄の様相を呈して行きました。
日蓮大聖人が書いた御書の「地獄の相」は、道にあふれた死人を実際に見て書いたと推測され、予言ではなく事実を書いた為、完全に一致するのです。

私の父は温厚で非常に優しく、地域の代表でもあり人望も厚く、役場から表彰されたりした動物好きの人でした。
第二次世界大戦の時は、満州へ出兵しましたが、電気の事が詳しい為、通信部隊だったそうで「俺は人を撃ったことはない」が自慢でした。
その父が亡くなった時、人道からはずれたことは一切して来なかった筈なのに、その死相は上記「地獄の相」そのままだったのです。
私は、「あんなに優しかった父ちゃんが、なぜこんな死にかたなんだ!」と答えが判らない事に悩みましたね。
そして現在の家内と知り合い結婚し、家内の祖母(創価学会員)の見事な「成仏の相」を見て、答えが理解できました。
(「成仏の相」が知りたければ質問して下さい、回答したいと思います)

『在世の時、いくら善行を尽くしたとしても、間違った仏法では成仏出来ないのです!』

「死んだらみんな仏様」とか「成仏=死」というのは、とんでもない大間違いです。
従って非常に残念ですが、貴殿はお父さんの入滅後2日経過の死相を見て、“日蓮大聖人が言われた通りの相”なら、同じ宿業を持った貴殿自身は、お父さんを反面教師として、同じ過ちを犯さないように願っております。
お父さんの死相が、日蓮大聖人の言った事と違っていたら、私の回答は打ち捨てて笑い者になさって結構です。
文証・理証より現証が全てです。
因果律から言って、『因の正邪を知りたくば果をみよ』です、お忘れなきように!

日蓮大聖人 御書 諫暁八幡抄より 『仏(末法の御本仏日蓮大聖人)は法華経謗法の者(特に念仏者)を治し給はす』と仰せです。


我、深く何達を敬う -人-

違反報告 編集日時:2010/10/21 18:22:38 回答日時:2010/10/18 15:45:50 worlddreamhealさん

阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩が説法をする世界。


浄土に往生出来るかどうかは、四十九日間の審議の末に決まります。
閻魔大王の同業者たちが、河の向こう側で、死者の生前の行いをを様々な形で審議し、六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)に振り分けます。

天上のうちに西方極楽浄土があります。

違反報告 ケータイからの投稿 回答日時:2010/10/18 10:21:34
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