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仏教の部屋
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項目

bk03-01[仏教経典の体系と成立史-1(原始仏教)]
bk03-02[仏教経典の体系と成立史-2(大乗仏教)]


[仏教経典の体系と成立史-1(原始仏教)]
作成:2003年11月03日
更新:2005年02月22日

bk03-01.01 仏教経典の体系
bk03-01.02 原始経典の成立
bk03-01.03 パーリ語経典
bk03-01.04 英訳パーリ語経典テキスト(Sutta Pitaka)
bk03-01.05 日本語訳パーリ語経典
bk03-01.06 仏教経典の書写
bk03-01.07 参考書・参考ホームページ等

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仏教経典の体系
「経」の意味
漢語で「経」とは、「たて糸」を意味します。聖句(仏陀の言葉) を書いた竹片が「たて糸」によって綴じられたことにより、それらが「経」と名付けられたとされています。一方、インド語(サンスクリット)では、「経」にあたる言葉は「スートラ」と言われます。「スートラ」の元来の意味は線(いとすじ)のことですが、いくつもの聖句(仏陀の言葉) を一本の糸でつなぎ合わせたものという意味であるとされています。

大蔵経
一切経とも言われます。律蔵、経蔵、論蔵の三つ(三蔵) に集大成されたものです。
律蔵は、仏教教団の戒律(教団の規則や、教団を構成する僧侶の日常生活の規律)を集めたものです。
経蔵は、仏陀の教えを集めたものです。経典と言う場合、狭い意味では経蔵に含まれる「経」を意味します。
論蔵は、経典の解説や、仏教理論を集めたものです。
経典と言う言葉が広い意味で使われる場合は、大蔵経(一切経、または三蔵)を意味します。

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原始経典の成立
釈尊は 80歳で入滅しますが、その時、弟子の中では、マハーカッサパが代表者の地位にありました。彼は釈尊の葬儀を済ませた後、釈尊の正しい教えを確立して後世に伝える必要があると考え、教団の大衆を集めて、正法結集(しょうぼうけつじゅう) のために 500人の阿羅漢(最高のさとりを得た者) を代表者として選び、マガダ国の首都ラージャガハ(王舎城) で結集会議(第一結集) を行うことを決めます。

第一結集(けつじゅう)
第一結集はラージャガハ郊外の匕葉窟で行われますが、マハーカッサパが議長となり、仏陀に最も身近に仕えた侍者であったアーナンダが仏陀の説法 (経)を誦出(じゅしゅつ) します。また、教団の規則としての「律」は、持律第一のウパーリが誦出したとされています。漢訳経典の最初の書き出しにある「如是我聞」という決り文句は、アーナンダが、「私は仏陀からこのように聞きました」という意味で、その後、仏教の発展によって作られた経典(大乘経典) においてもこの様式が採用されるようになったとされています。

第二結集
第一結集の約百年後、第二結集が行われます。第二結集では、律(教団の規則) の解釈(十事の非法、大天の五事)などで意見が対立し、教団は、上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいしゅぶ)に分裂します(根本分裂)。これらの部派はその後、アショーカ王の時代の前後でさらに多くの部派(18部または20部)に分裂していきます。代表的な部派としては、説一切有部(せついっさいうぶ)、正量部(しょうりょうぶ)、上座部、大衆部などですが、それぞれが違った言語で三蔵経典を伝えたとされています。

[注]

十事の非法
跋闍子比丘(ばっじゃしびく) が、「前日に布施された塩を蓄えておいて食事に供してよい」、「中食(ちゅうじき) 後にも、一定時間内なら食事をしてよい」などの 10項目にわたる従来の戒律に反する行為を唱えたが、これを非法として決議した。
大天の五事
大天(Mahadeva) という人物が、阿羅漢の完全性について異義をはさみ、阿羅漢でも「夢精をすることがある、無知が残っている、疑いが残っている、他人から知る知識がある、さとりはことばによって表される」という 5項目の内容を説いた。この立場を認めるものが、大衆部となり、否定するするものが上座部となったと伝えられている。

第三結集
第二結集の約百年後、マウリヤ王朝第三代アショーカ王(BC268年~BC232年) の時代に第三結集が行われます。この時、インド各地へ伝道師派遣が決定され、アショーカ王の王子マヘンダ比丘、王女サンガミッター比丘尼がスリランカ(セイロン) に派遣されます。
スリランカ(セイロン) に伝わった仏教は上座部仏教(Theravada) で、ビルマ(ミャンマー)、タイ、カンボジア、ラオスなどの南方諸国に伝わり、今日まで古い教義(経典) を伝えています。これらの経典はパーリ語で書かれておりパーリ語経典と言われますが、仏陀入滅後、約300年~400年を経て成立したものとされています。
上座部仏教は、後にインドで発展した大乗仏教に対比して小乗仏教と言われますが、古い時代の仏教(経典) を伝えているため、原始仏教とも言われます。また、南方諸国に伝わった仏教と言う意味で南伝仏教とも言われます。

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パーリ語経典
パーリ語経典は、パーリ語で "Tipitaka" と言います。英語では "The Pali Canon" と訳されています。"Tipitaka" の "Ti" は 3 を意味し、"pitaka" は英語では "baskets" と訳されているので、"Tipitaka" は、漢語では、前述の "三蔵"、日本語にすれば、"三つの入れ物" ということになるのでしょう。

パーリ語
インド語で伝えられた仏教経典の言語はすべてインド・アーリア語です。インド・アーリア語の源泉は、正統派のバラモン教聖典であるヴェーダやウパニシャド等で使用されているサンスクリット(梵語)です。バラモン経が発生した西北インドが源泉である梵語は、諸地方に流れて各地域の俗語となったとされています。インド諸地方のこれら民衆語は、プラークリット(俗語)と呼ばれます。インド語の経典の言語は広義のプラークリット(梵語に近い俗語を含む)に属します。

西北インドで栄えた説一切有部(せついっさいうぶ) は梵語(仏教梵語)の経典、中インドで栄えた正量部(しょうりょうぶ) は、シュラセーナ語の経典、南インドに起こった大衆部(だいしゅぶ) はマハーラーシュトラ語の経典、そして西インドで栄えた上座部はビシャーチャ語の経典を伝えました。

上座部に伝わったビシャーチャ語の経典が、スリランカ(セイロン)、ビルマ、タイなどの南方諸国に伝わり、今日まで伝えられたものがパーリ語経典です。

「パーリ語」という表現は言語学的なものではなく、「パーリ」は、聖典を意味しており、「パーリ語」は「聖典語」と言う意味で、スリランカに上座部経典が伝わり、そこに使われている言葉がいつの頃からかパーリ語(聖典語)と呼ばれたようです。

[注]

サンスクリット(梵語)について
ヴェーダ聖典(バラモン教の聖典、紀元前 12世紀~紀元前 3世紀にかけて成立)、ヒンドゥー教の文学・哲学・宗教、仏教の論書などに使われた言語で、「古典梵語」とも言われます。「古典梵語」に対して、仏教経典に用いられた梵語は、仏教特有の語彙を含んでいたり、パーリ語等のプラークリット(俗語)と混淆したりしており、これらを「仏教梵語」といいます。

パーリ語経典(Tipitaka) の構成
パーリ語経典(Tipitaka) は、Vinaya Pitaka (律蔵)、Sutta Pitaka (経蔵)、Abhidhamma Pitaka (論蔵) の三蔵より構成されています。この内、仏陀の教えを知る上で最も重要なのは、Sutta Pitaka (経蔵) です。"Sutta" は「経」を意味する言葉で、前述のインド語(サンスクリット語) "スートラ" に対応する言葉です。

Sutta Pitaka(経蔵) の構成
Sutta Pitaka は、五部で構成されています。比較的長い経典を集めたものがディーガ・ニカーヤ(長部)、中くらいの長さの経典をを集めたものがマッジーマ・ニカーヤ(中部)、仏教の基本的な教理や実践修業に関する経典を集めたものがサンユッタ・ニカーヤ(相応部)、仏陀の説法の中で法数に関係した経典を集めたものがアングッタラ・ニカーヤ(増支部)、前述の四つの分類に収めきれない 15(または 18) の経典を集めたものがクッダカ・ニカーヤ(小部) です。

Sutta Pitaka に対応する漢訳経典は、「阿含経(あごんぎょう)」と言われます。「阿含」は、サンスクリット・パーリ語 "アーガマ" の音訳で、「伝承された教説、またはその集成聖典」を意味します。「阿含経」は四部で構成されており、下表のように、Sutta Pitaka の構成に対応していますが、必ずしも完全に同じ経典で構成されていないようです。これは、Sutta Pitaka が上座部の経典として完全な形で伝えられたのに対し、漢訳の「阿含経」は、各々異なる部派に伝わった「阿含」を集めて「阿含経」としているためとされています。

Sutta Pitaka と「阿含経」の構成比較 (2005.11.26 更新)
Sutta Pitaka のリンク先は、Access to Insight 配下の英訳対応経典です。
[2007.02.22 追記]
「阿含経」経典については、bk04-01[漢訳仏教経典] に掲載しています。

Sutta Pitaka の構成 漢訳「阿含経」の構成
Digha Nikaya 長部 長阿含
Majjhima Nikaya 中部 中阿含
Samyutta Nikaya 相応部 増阿含
Anguttara Nikaya 増支部 増一阿含
Khuddaka Nikaya
01.Khuddakapatha
02.Dhammapada
03.Udana
04.Itivuttaka
05.Sutta Nipata
06.Vimanavatthu
07.Petavatthu
08.Theragatha
09.Therigatha
10.Jataka
11.Niddesa
12.Patisambhidamagga
13.Apadana
14.Buddhavamsa
15.Cariyapitaka
16.Nettippakarana
17.Petakopadesa
18.Milindapanha 小部
01.小誦
02.法句経
03.自説
04.如是語
05.経集
06.天宮事
07.餓鬼事
08.長老偈
09.長老尼偈
10.本生
11.義釈
12.無礙解道
13.譬喩
14.仏種姓
15.所行蔵
16.
17.
18. (雑蔵)
01.
02.法句経
03.
04.本事経
05.義足経
06.
07.
08.
09.
10.生経
11.
12.
13.仏五百弟子自説本起経
14.
15.
16.
17.
18.

[注] 小部経典名称の漢語訳については、http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/mokuroku.html を参考にしました。

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英訳パーリ語経典テキスト(Sutta Pitaka)

更新:2005年11月26日

Access to Insight/tipitaka/Sutta Pitaka に、英訳パーリ語経典が掲載されています。
ここに掲載されていたアーカイブを入手し、当サイトの体裁に変更したものを今まで掲載していましたが、オリジナルファイルが XHTML になったため、最新版へのメンテナンスを中止しています。

当ホームページに掲載している Sutta Pitaka の英訳テキスト は、2005年1月に入手したアーカイブから作成したものです。最新のものを参照するには Access to Insight/tipitaka/Sutta Pitaka へアクセスしてください。

なお、当サイト掲載のテキストについては、以下の事項に留意ください。

■ テキスト内容は一切改編していませんが、HTML Version、キャラクターコードセット、Web Page の体裁等の変更と Sutta Pitaka の英訳テキスト以外へのリンクの削除を行っています。
■ リンクを削除した部分は、下線で表示しています。各ページの最下行に、Access to Insight(http://www.accesstoinsight.org) 配下の該当ページへのリンクが表示されていますので、リンク削除部分へアクセスしたい場合は、最下行のリンクからアクセスしてください。
■ Access to Insight(http://www.accesstoinsight.org/) 及び、各々の英訳パーリ語経典テキストの著作権については、http://www.accesstoinsight.org/faq.html に記載されています。

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日本語訳パーリ語経典
[2005.01.29 更新]

「南伝大蔵経」65巻 70冊 / 高楠順次郎 監修 (1935-1941年) が有名ですが、容易に入手できるものではありません。また、その文体は、漢文の書き下ろし文に準じた一種の擬古文で、難解であるとされています。現代語訳で入手(書店で購入)できる書籍としては、以下のものがあります。対応するパーリ語経典を付記しています。

Sutta Pitaka のリンク先は、Access to Insight 配下の英訳対応経典です。

岩波文庫
1. ブッダのことば / 中村 元訳 (Sutta Nipata)
2. ブッダの真理のことば、感興のことば / 中村 元訳 (Dhammapada, Udana)
3. ブッダ 神々との対話 / 中村 元訳 (Samyutta Nikaya I)
4. ブッダ 悪魔との対話 / 中村 元訳 (Samyutta Nikaya II)
5. ブッダ最後の旅 / 中村 元訳 (Maha-parinibbana Sutta)
6. 仏弟子の告白 / 中村 元訳 (Theragatha)
7. 尼僧の告白 / 中村 元訳 (Therigatha)

春秋社
「ジャータカ全集」10巻 / 中村 元 監修 (Jataka)
「原始仏典」7巻 / 中村 元 監修 (Digha Nikaya, Majjhima Nikaya)

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仏教経典の書写
[参考書]
経典-その成立と展開/水野弘元 著/佼成出版社 1990年7月30日発行(仏教文化選書)

原始仏教経典の書写
もともと原始仏教では、経典は口誦(こうじゅ)によって伝えられていました。

経典を口誦伝承する風習は仏教に始まったものではなく、インド一般のことであったとされています。正統バラモン教では、近代に至るまで何千年もの間その経典を記憶によって伝えています。その理由は、文字に書いたものは盗まれたり、水火の難にあって失われることがあるのに対し、記憶されたものにはそのような心配がないこと、バラモン教では、経典を一般の人々に説いてはいけないこと、経典が一般の人々から冒涜されないようにすることも、口誦伝承の理由であったようです。

仏典編集会議であった「結集(けつじゅう)」は、すべて記憶しているものを口誦しあうことを意味しています。

仏教経典が書写されたことを伝えている最初の記録は、紀元前1世紀頃のスリランカ(セイロン) です。スリランカ仏教の歴史書によると、仏教がアショーカ王(BC268年~BC232年) の時代にインドからスリランカに伝えられて 200年ほど後、スリランカの仏教の本山であった大寺(マハーヴィハーラ) の比丘(びく) 達が、寺院間の抗争を機に、経典を正しく後代に伝えるため文字によって書き残したとされています。

スリランカ、ビルマ、タイなどの南方地方で経典が書写された材料は、貝葉(ばいよう) といわれる棕櫚(しゅろ) 科の熱帯植物(多羅樹) の葉です。貝葉は、貝多羅葉(ばいたらよう) の略語で、貝多羅とはインド語のパトラ(葉) を音訳したものです。

北方に伝わった仏教に関しては、紀元 2世紀後半、カニシカ王(AD143年~AD173年) の時に、説一切有部(せついっさいうぶ) による仏典結集(第四結集) があり、このとき編集された「大毘婆沙論(だいびばさろん)」という論書が銅版に刻まれて、カシミールの王宮に保管されたとされています。実際には、その以前から西北インドにおいても経典書写が行われていたと考えられています。

西北インド、中央アジアなどでは、経典書写の材料として、樹皮、布帛、獣皮、高級なものでは銅版が用いられたようです。

[参考] 紙の発明について
http://www7.wind.ne.jp/hiraide/basic/history1.html
後漢時代(AD25年~AD220年) の皇帝、和帝は、宮中の御用品製造所の長官だった蔡倫(さいりん) に「かさばらず費用のかからない書写材料」の研究を命じました。蔡倫は研究を重ね、AD105年、書写材料に適した紙を完成させます。これが情報を書きこめる機能をもった、歴史上初めての紙「蔡侯紙(さいこうし)」です。
[2007.01.19 追記]
2006.03.28 付け日経新聞夕刊によると、「中国・西安市にある前漢時代(BC202年~208年) の墓から最古級の紙が見つかったと、来日中の西安市文物保護考古所の孫福喜所長が二十八日、明らかにした。以前は後漢時代の蔡倫(さいりん) が一〇五年ごろ紙を発明したとされてきたが、最近では発明時期を前漢時代と推定する見解が一般的。・・・・」とあります。

大乗仏教経典の書写
大乗経典では、経典の受持、読誦、正憶念、修習とともに、書写することが重要な功徳であると述べられています。例えば、

法華経 / 第4巻 法師品 第10
....ましてやこの経説を余すところなく理解し心に留めて、読誦したり、習得したり、説明したり、書写したり、あるいは書写させたり、あるいは書写したのちに時々想い出しては唱えたりする人々、またこの経典に花・香木・香水・華鬘・香油・香粉・衣服・傘蓋・旗・幟・吹流しを供え、合掌し礼拝して、この経典を崇め尊び敬慕し、供養し、礼賛する人々は、なおさらである。このような良家の息子や娘はこの上なく完全な「さとり」に到達した人と知るべきであり、また世間の人々を憐れんで、この経説を解き明かすために、前世における請願の力によって、この閻浮提において人間のあいだに出現した、如来さながらの人であると知るべきである。....

法華経 / 第4巻 法師功徳品 第19
「良家の息子よ、誰かがこの経説を記憶したり、読誦したり、人に説いたり、また書写したりするとき、その人が良家の息子であれ娘であれ、その人は八百の眼の美点と千二百の耳の美点と八百の鼻の美点と千二百の舌の美点を得るであろう。また、八百の身体の美点を得るであろうし、千二百の心の美点を得るであろう。これらの多くの幾百という美点によって、六種の感覚の集まりは清浄であり、完全に清浄となろう。彼はこのように眼の感覚が完全に清浄であるので、父母から享けた自然のままの肉眼で、下はアヴィーチ大地獄から、上は宇宙の頂きに至まで、内と外を問わず、山あり森あり荒地のある三千大千世界を、くまなく見ることができるであろう。そのすべてを自然のままの肉眼で見るであろうし、またそこに生存する衆生を見、またかれらの善悪行為がどのような果報をもたらしているかを知るであろう」

大乗仏教では、初期から、経典が書写されたものと考えられています。

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参考書・参考ホームページ等
本文中に記載したものと重複しますが、以下にまとめて記載します。

* 経典-その成立と展開/水野弘元 著/佼成出版社 1990年7月30日発行(仏教文化選書)
* 東洋大学、文学部、印度哲学科の森ゼミによる「原始仏教研究」のホームページ http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/mokuroku.html
* 紙の発明について http://www7.wind.ne.jp/hiraide/basic/history1.html
* 法華経/坂本幸男・岩本 裕 訳注/岩波文庫 1962年

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[仏教経典の体系と成立史-2(大乗仏教)]
作成:2003年12月28日
更新:2007年02月22日

bk03-02.01 大乗仏教成立までの経緯
bk03-02.02 大乗仏教が生起した背景
bk03-02.03 代表的な大乗仏教経典と成立年代
bk03-02.04 漢訳大蔵経
bk03-02.05 参考書・参考ホームページ等

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大乗仏教成立までの経緯
仏滅から大乗仏教生起までを以下に簡単に整理します。
()内の年代は、仏滅を BC485年、第三結集がアショーカ王(BC268年~BC232年) の時代に行われたとする前提の計算上の年代です。あくまで目安です。

■仏滅:BC485年? / 別説 BC544年? or BC383年?

■第一結集
仏滅直後(BC485年?直後)、第三結集起算200年前(BC468年~BC432年?頃)
経と律の結集

■第二結集
仏滅起算100年後(BC384年?頃)、第三結集起算100年前(BC368年~BC332年?頃)
上座部と大衆部に根本分裂

■第三結集(紀元前3世紀頃)
第二結集の百年後、アショーカ王(BC268年~BC232年) の時代に行われた
マヒンダ比丘(アショーカ王の王子)がスリランカに上座部仏教を伝える

■部派仏教
根本分裂の後も、教義の解釈をめぐって上座部、大衆部はさらに分裂する。
以下、部派仏教の分裂系譜と年代です(Wikipedia 「インドの仏教」による)

□仏滅後 300年初め頃(BC185年以前?頃)
上座部-->説一切有部(せついっさいうぶ)、雪山部(せっせんぶ)
説一切有部-->犢子部(とくしぶ)
犢子部-->法上部(ほうじょうぶ)、賢冑部(けんちゅうぶ)、正量部(しょうりょうぶ)、密林山部(みつりんせんぶ)
[注]北伝説による

□仏滅後 300年頃(BC185年?頃)
説一切有部-->飲光部(おんこうぶ)
[注]南伝説による

□仏滅後 400年頃(BC85年?頃)
説一切有部-->経量部(きょうりょうぶ)
[注]南伝説による

[注]

説一切有部(せついっさいうぶ)
部派仏教の中で最も優勢であった部派。紀元前 2世紀後半(BC200年~BC150年)(*) 頃に、上座部から派生したと考えれている。迦多衍尼子(かたえんにし)が「発智論」を著して教学を大成した。「大毘婆沙論(だいびばさろん)」はその詳細な注釈書。三世実有(さんぜじつう)、法体恒有(ほったいこうう)を主張し、主観的な我(人我) は空であるが、客体的な事物の類型(法) は三世にわたって実在する(我空法有、人空法有) とした。西暦紀元前後に興った大乗仏教が、空の論理を展開して説一切有部の説を批判した。
*) 説一切有部の成立年代については、岩波仏教事典は紀元前 1世紀半ば頃、Wiikpedia(フリー百科事典) では、紀元前 2世紀後半としている。また、北伝によると、仏滅後 200年~300年となっているので、仮に仏滅を BC485年とすると BC285年~BC185年となる。概ね、BC200年~BC150年頃の成立と考えていいのではないだろうか。
三世実有、法体恒有(さんぜじつう、ほったいこうう)
法の本体は過去・現在・未来の三世にわたって実在するという意味。有力学派である説一切有部の主要な教義。
大毘婆沙論(だいびばさろん)
紀元 2世紀後半に北インドを支配したカニシカ王が説一切有部に帰依し、彼の援助によって 500人の阿羅漢がカシミールに集まって説一切有部の三蔵を結集したと伝えている。その時結集した論蔵がこの大毘婆沙論になったといわれている。紀元 2~3世紀の頃の成立と見られている。

■初期大乗仏教の成立
紀元前 1世紀~紀元 1世紀

■第四結集
紀元 2世紀頃、北インドを支配したカニシカ王(AD143年~AD173年) は説一切有部に帰依していたので、彼の援助によって 500人の阿羅漢がカシミールに集まって説一切有部の三蔵を結集した。

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大乗仏教が生起した背景
(Wikipedia 「インドの仏教」による)

■在家者の中にも仏教の信奉者が多く存在した。それら在家者は、仏塔(ストゥーパ) に参拝したが、参拝者に釈迦の一代記を説明する僧が登場し、仏塔の維持と仏教の布教活動を専業としていた。このような仏塔崇拝・仏陀崇拝の動きは比丘たちの活動とは別に底辺に流れ続けていた。

■さらに、釈迦はなぜ成仏をなし得たのかという問題が生じた。そこで、前生から輪廻を繰り返しながら修行が続けられたのだということで、前生の話がまとめ上げられる。そこでは、インド各地に伝えられた伝説の主人公が、実は仏陀の前生であったとされた。その大半は慈悲による利他行を平易に説いたものであった。

■信者の仏陀崇拝は、単に釈迦だけに留まらず、同じく悟りを得て(光を得て) 仏陀となったであろう、別の仏陀もまた崇拝することとなった。最初期には、釈迦の伝説上の指導仏であった錠光仏であり、直近の未来に仏となる弥勒菩薩への崇拝である。

■この崇拝にも次第に理屈が付き、それが信仰となった。自らの罪を懺悔し、教化を請い(勧請)、仏を讃嘆し、自らの善行を仏にささげる(回向) によって、自らも救済されるという新たな儀礼が登場する。そこで、出家して比丘とならなくても、広く衆生を救いとるという大乗という概念が登場する。

■最初期の経典が部派ごとに伝えられたために、部派間の聖典の突合せ作業を行わざるを得なかった。そのバラバラな経典を主題ごとにまとめる作業が行われると、聖典に手を加えてはならないというタブーが破られることになった。新たな聖典の可能性がこのころから芽生えた。

■そのような時に、ことに智慧や縁起を説明する『般若経』が成立する。あたかもいくつかの聖典を編集したという形ではあるが、それは空という独自の視点で縁起を説明した教典であった。さらにこの経典には、信徒たちが築いた参拝活動を是認する論理が書き加えられた。

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代表的な大乗仏教経典と成立年代
[参考書]
*1) 経典-その成立と展開/水野弘元 著/佼成出版社 1990年7月30日発行(仏教文化選書)
*2) 岩波仏教辞典 第 2版/中村元他 編/岩波書店 2002年10月30日発行
*3) 法華経/坂本幸男・岩木裕 訳註/岩波文庫 1962年:解題
*4) 般若心経・金剛般若経/中村元、紀野一義 訳注/岩波文庫 1960年:解題
*5) 浄土三部経/中村元・早島鏡正・紀野一義 訳註/岩波文庫 1963年:解説
*6) わかりやすいお経辞典/大法輪閣 2002年7月10日発行(大法輪選書)

初期大乗仏教
BC 1世紀~AD300年(*1) or BC 1世紀~AD250年(*2)

■般若経
大乗を最初に宣言した経典、原型は紀元前後頃に成立し、以後 600年以上に渡って増広されたと考えられています(*2)。般若経の成立以前は、六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若) が同列に説かれたが、般若経では、第六の般若波羅蜜が全体を統括する波羅蜜として宣言された。般若波羅蜜とは、「智慧の完成」であり、その実体は「空」の理法をさとることであると言われている。

[注]

六波羅蜜
波羅蜜は、菩薩の基本的な実践徳目で、通常 6種類の徳目が最重要とされた。六波羅蜜が、菩薩の実践徳目としてまとめられたのは、およそ紀元前1世紀中頃と考えられている。

■般若経の主要経典

□小品系

「道行般若経」
大乗経典の中で、もっとも古い部分を含む経典とされている(*2)
「小品般若経」
もっとも古い部類の経典(*1)

□大品系

「放光般若経」
(*2)
「光讃般若経」
(*2)
「大品般若経」
もっとも古い部類の経典(*1)

□「十万頌(じゅ)般若」
(*2)

□「金剛般若経」
AD150年~AD200年頃には成立していたと推定されている。空の思想を説いているが「空」という言葉が用いられていない。まだ「空」という述語が成立していない時代、大乗思想が固定化、定式化する以前に成立したと考えられている(*4)。

□「理趣経」
中期時代の成立(*1)。日本密教の真言宗で常時読誦される経典。「大楽(たいらく)」や「清浄(しょうじょう)」が中心思想となっており、人間肯定、性欲肯定が説かれているため、昔は秘経とされてきた。般若経の一種とされながらも、般若経のテーマである「空」さえも否定し、「不空」という積極的表現が用いられている(*6)。

□「大般若経」
般若諸経を総合した経典

□「般若心経」
大般若経が 600巻の大経典であるのに対し、わずか 300文字に足りない中に五蘊皆空、色即是空、無色、無受想行識、無苦集滅道など、「空」の思想を凝縮した経典。

■「法華経」(*3)
原始法華 :BC1世紀
第二期法華:AD1世紀(西北インド)
第三期法華:AD100年前後(西北インド)
第四期法華:AD150年前後
その他の説:全28品の内、第22までは、AD40年~AD220年の間に成立
岩波仏教辞典では、AD50年~AD150年あたりにかけて成立したとある(*2)。
宇宙の統一的真理(一乗妙法)、永遠の仏(久遠釈迦)、現実の人間的活動(菩薩行道)を明かす。

[注]

一乗
「乗」は、乗物の意味であるが、「衆生を仏の悟りに導く教え」を例えた言葉。「乗」には声聞、縁覚、菩薩の三種類の「乗」があるが、大乗仏教では声聞、縁覚を二乗と言う。一乗は、声聞、縁覚を否定して、これらを「統一」した「唯一」の「菩薩乗」が正しい教えであるとする。
声聞(しょうもん)
教えを聴聞する者、原始仏教では出家者に対しても、在家者に対しても用いられるが、大乗仏教では、自己の悟りのみを得ることに専念し、利他の行を欠いた出家修行僧とされ、小乗と称した。
縁覚(えんがく)
独覚(どっかく)とも言われる。師なしで、独自にさとりを開いた人をいう。大乗仏教では、この立場を自己中心的なものと考え、声聞とともに否定した。

■「無量寿経」
AD140年頃の成立(*5)。浄土三部経のひとつ、阿弥陀仏の前身、法蔵菩薩の四十八願を明かし、一切の衆生が阿弥陀の西方浄土に往生する所以を説く。法蔵菩薩は、四十八願が成就しなければ「正覚はとらじ(覚りを得ることはない、すなわち仏になることはない)」と宣言し、願を成就する。

■「阿弥陀経」
AD140年頃、無量寿経よりも先に成立(*5)、または、 AD100年頃、北西インドで成立(*2)
浄土三部経の一つ。阿弥陀仏が説法している極楽世界の荘厳なさまや、阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏) を唱えることによりその世界に往生できること、などを説く。

■「華厳経」
4世紀頃、中央アジアで現在の形が成立したと推定されている(*1)、または、3世紀頃に、中央アジアで単行の諸経が集成されて成立した(*2)
全世界は毘盧遮那仏の顕現であるとする壮大な仏国土の思想を説く。

■「維摩(ゆいま)経」
ヴァイシャーリーの富豪で在家の仏教信者、維摩居士と文殊の討論を通して大乗仏教の在家主義を説く(*1)。
維摩居士が、大乗思想の核心を説きつつ、出家の仏弟子や菩薩たちを次々論破していくさまが、文学性豊に描かれている(*2)。

■「大宝積(ほうしゃく)経」
初期から中期にかけて成立(*1)
菩薩の修行や授記(過去世において過去仏が修行者に対して未来の世において必ず仏になることを予言し保証を与えること) に関する 49 の独立経典を集めて、宝の集積になぞらえた経典(*2)。

■「大集(だいじつ)経」
初期から中期にかけて成立(*1)
菩薩のために無礙(むげ)の教えを説くことを標榜し、正法の守護を宣揚するが、全体として密教的色彩が濃厚である。転女成男(てんにょじょうなん)(女が男に生まれかわる)の思想や末法思想の根拠とされる五五百歳(仏滅後を五百年ごとに区切って、正法の衰退を主張する) 思想が説かれている(*2)。

中期大乗仏教
AD250年~700年 (*1) or AD250年~480年 (*2)

■「解深密(げじんみつ)経」
唯識思想を初めて説いたといわれる経典、AD300年頃の成立。

[注]

唯識思想
一切はただ識(心)の現れにすぎないとする見解、般若経の「空」の思想を受け継いではいるが、「識」の存在を肯定した(*2)。
空の思想
般若心経に、「五蘊皆空」と述べられているように、色(形のあるもの) と受想行識(心の世界)は、全て実体を持たない(すなわち「空」である)という見解

■「大般涅槃経」
4世紀の成立(*2)
如来の般涅槃(はつねはん)(亡くなること) は、方便であり、本当は如来は常住で変易(へんやく) することがないとして、如来法身(ほっしん)の不滅性を説いている。その徳によって、一切衆生は悉く仏性を有すると宣言している。

■「如来蔵経」
衆生は外来的・偶然的な煩悩に覆われているが、それを取り除けば本来自己の内にある如来としての本性(ほんしょう)が輝き出すのであり、「一切衆生は如来蔵である」と説かれる(*2)。

[注]

如来蔵
全ての衆生に具わっているとされる「悟りの可能性」、「仏性」と同義

■「勝鬘(しょうまん)経」
波斯匿王(はしのくおう)の娘である勝鬘夫人(しょうまんぷにん) を語り手として、如来蔵思想を説く経典。如来蔵思想を代表する経典とされる。漢訳が AD436年に行われているので、成立はそれ以前。

■「楞伽(りょうが)経」
5世紀頃の成立(*2)
仏がランカー(楞伽)島(スリランカ) に降下して説いた経とされる。別名「入楞伽経」。唯心の理にたち、一切は、空であり不生であり、幻のごとしと説く。また、唯識の教理体系を採り入れて、三性説や、八識説などを教える。特に、識の根本としての阿頼邪識(あらやしき)を衆生の持つ成仏の能力をあらわす如来蔵と同一視した点が特徴である。

[注]

唯心
あらゆる現象世界はただ心の現れにすぎないとする説。唯心思想は、詳細な心の分析をともなう唯識説に発展するが、一方で、唯心説を自性清浄心や如来蔵に結びつけた人々は、すべての衆生が備える清らかで根元的な心を強調するようになった。

後期大乗仏教
AD650年~1200年(*1)
[注]
後期大乗仏教では密教が主流になりますが、密教を大乗仏教の一種として扱っている場合と、ヒンドゥー教との融合、仏像信仰、現世利益志向などの要素が加わった新しい部類の仏教として扱っている場合があります。

■「大日経」
7世紀初期に中インドで成立した、インド中期密教の代表経典(*2)。以下の特徴をもつ。

* 6世紀以前のインド初期密教に対して経の説者が釈尊ではなく、真理を仏格化した毘盧遮那(びるしゃな)如来(大日如来)に変わる。
* 修法(しゅうぼう) の目的が現世利益から、成仏に移る
* 大乗仏教特有の思想が直接反映されている
* 印契(いんげい)(印相(いんそう)) と真言と三摩地(さんまじ)(三昧(さんまい)) の三蜜相応を説く
* 整備された曼陀羅(胎蔵界曼陀羅) があらわれる

それまでの断片的であった密教が、教理的ににも実践上も成仏を目的とするシステムとして構成された最初の経典である。執金剛秘密主の質問に対して、大日如来が答える形式で、仏の智慧(一切智智)を獲得する方法とその理論的な根拠を明らかにしている。

■「金剛頂経」
7世紀中頃から終わりにかけて、南インドで基本形が成立、次第に完成形態に移行した(*2)
大日経と並び、日本の真言密教で重要視される経典。大日如来が一切義成就菩薩(いっさいぎじょうじゅぼさつ)の問いに対して 、自らの悟りの内容を明かし、それを得るための実践法が主な内容である。その内容を具体的に示したものが、金剛界曼陀羅で、実践法の中心となるのが五相成身観である。

[注]

五相成身観
行者の汚れた心を瑜伽の観法を通じて見きわめ、その清浄(しょうじょう)な姿がそのまま仏の智慧に他ならないことを知り、仏と行者が一体化して行者に本来そなわる仏の智慧を発見するための修行法。
瑜伽
サンスクリット語「ヨーガ(yoga)」の音訳。感覚器官が自らに結び付くことによって心が制御される精神の集中法、または、自己を絶対者に結び付けることにより、瞑想的合一をはかる修行法。密教では、手に印契(いんげい)を結び、口に真言(しんごん)をとなえ、意に本尊を観じることにより仏の三蜜と感応道交することを、三蜜瑜伽という。
三蜜
仏の身(身蜜)、口(口蜜)、意(意蜜)の行為をいう。

■「蘇悉地(そしつじ)経」
「他の真言法を修して成就しないときは、この経の根本真言をかねて授持すれば、速やかに成就する」という趣旨の経典。大日経、金剛頂経と合わせて、密教の三部経とされる。

[注]

蘇悉地(そしつじ)
完成・成就を意味するサンスクリット語 siddhi(悉地(しつじ)) に、見事な・勝れたを意味する su(蘇(そ)) を加えた、サンスクリット語の音訳。

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漢訳大蔵経

日本では、一般に「お経」といえば、真言密教でとなえられる梵語の呪文(真言(しんごん/mantra)、陀羅尼(だらに/dharani)) を別にすれば、それは漢訳された経典を意味しています。日本の大乗仏教では、中国で漢訳された経典がそのまま伝えられたわけですから、母国語でない経典をありがたく読誦するのもしかたのないことなのかもしれません。

それにしても、インドでつくられた経典が、ほとんど漢訳されて大蔵経というものにまとめあげられるには、実に千年の歳月を要していることを考えると、仏教に携わったインド人や中国人僧侶達の情熱というものは、想像を絶するものがあります。

中国の大蔵経
AD67年(後漢第二代明帝の時代) に、インドから竺法蘭(じくほうらん) と摩騰迦葉(まとうかしょう) の二人が、首都洛陽に入り白馬寺を建立します。これが、公式に仏教が中国に伝えられた最初の記録です。

730年(唐の時代) に僧智昇が、中国に伝えられ漢訳されたすべての経典を大乗、小乗別に、経・律・論に分類した 「開元釈教録」を作成しました。実に白馬寺の建立から七百年若の歳月を費やして、経典は漢訳され、体系化されたわけです。

さらに、983年には、宋の太祖の勅命によって、「開元釈教録」をもとにした大蔵教の印刷用版木 13万枚が完成します。この大蔵経は「北宋官版」または「蜀版」といわれますが、「開元釈教録」の 5048巻の他に、宋代新訳の 279巻、「開元釈教録」未収容の宋代以前の訳経 259巻、合計 5586巻におよぶ壮大なものでした。また、「北宋官版」とは別に、民間事業として「福州東禅寺版」が 33年の歳月を費やして 1112年に完成しています。以後、元の時代(1271年~1368年)までに 10回ほども大蔵経が刊行されています。また、明の時代には、1589年に「万暦版大蔵経」が刊行されています。

朝鮮の大蔵経
朝鮮では、高麗(顕宋の代/1016年~1029年) の時代において、「北宋官版」をもとにした「高麗版大蔵経」がつくられました。

日本の大蔵経
日本では、江戸時代に中国の大蔵経をもとに、「天海版」、「黄檗版」などの大蔵経がつくられました。
「天海版」:南宋の「思渓版」の重刊(活字版) 1637年~1648年
「黄檗版」:明の「万暦版」の覆刻 1669年~1681年

明治時代以降になると、江戸時代の大蔵経の比較研究に加えて、経典の新しい学問研究が始められ、それらの成果をもとに、新しい大蔵経が出版されました。
「大日本校訂大蔵経」(「縮刷蔵経」) 1880年~1885年(明治 13年~18年)
「大日本校訂蔵経」(「卍字蔵経」) 1902年~1905年(明治 35年~38年)
「大正新脩大蔵経」(「大正蔵経」) 1924年~1934年(大正 13年~昭和 9年)

なかでも、「大正新脩大蔵経」は、日本のインド学・仏教学の姐ともいうべき高楠順次郎等によって計画・作成された(高楠順次郎・渡辺海旭監修) もので、今までの大蔵経中でもっとも多くの経典・文献を含む最完の大蔵経といわれています。その組織体系は、「開元釈教録」以来の伝統的な大小乗の経律論による区分ではなく、経典の歴史的発達の順序に従って、古いものから新しいものへと配列された、合理的なものとなっています。

大正新脩大藏経
仏教に関心をもつ者として、漢文は読めなくても、一度はこの「大正新脩大藏経」を見てみたいと思っていましたが、「大蔵経テキストデータベース研究会」が http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/ に「大正新脩大藏經テキストデータベース(SAT)」を公開していることを知り、感激した次第です。

「経蔵」相当の下記 10部の経典リストを当ホームページに掲載させていただきました。
なお、阿含部と本縁部は、原始仏教~部派仏教の経典、般若部から經集部、または密教部までが大乗仏教の経典と勝手に理解しています。

* 阿含部
* 本縁部
* 般若部
* 法華部・華厳部
* 寶積部・涅槃部
* 大集部
* 經集部
* 密教部

なお、経典本文のテキストは、http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/ からダウンロードして参照することができます。

[2006.02.22 追記]
前章「代表的な大乗仏教経典と成立年代」に記載した経典について、「大正新脩大藏經テキストデータベース(SAT)」よりダウンロードしたテキストをもとに作成した HTML版を bk04-01[漢訳仏教経典] に掲載しました。全て漢文ですのでとても読みきれるものではありませんが、漢訳経典の膨大さが実感できます。

日本語訳大蔵経
日本語訳といっても、漢訳を読み下したものですが、以下の叢書があります。

* 国訳大蔵経/国民文庫刊行会 1917-1921年 30巻
* 昭和新纂国訳大蔵経/東方書院 1928-1932年 48巻
* 国訳一切経/大東出版社/印度撰述部155巻(1936-1940)、和漢撰述部100巻(1952-1978)
国訳一切経は、現在も大東出版社(http://www.daitopb.co.jp/) から出版されています(驚く程高価な本なので、とても個人で購入できるものではありませんが)。

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参考書・参考ホームページ等
本文中に記載したものと重複しますが、以下にまとめて記載します。

* 経典-その成立と展開/水野弘元 著/佼成出版社 1990年7月30日発行(仏教文化選書)
* 岩波仏教辞典 第 2版/中村元他 編/岩波書店 2002年10月30日発行
* 法華経/坂本幸男・岩木裕 訳註/岩波文庫 1962年:解題
* 般若心経・金剛般若経/中村元、紀野一義 訳注/岩波文庫 1960年:解題
* 浄土三部経/中村元・早島鏡正・紀野一義 訳註/岩波文庫 1963年:解説
* わかりやすいお経辞典/大法輪閣 2002年7月10日発行(大法輪選書)
* 「大正新脩大藏經テキストデータベース(SAT)」http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/
* Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/
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