他力本願
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浄土教
分類
大乗仏教
地域別浄土教
インド 中国 日本
主な宗旨(日本)
天台宗(天台浄土教) 融通念仏宗
浄土宗 浄土真宗 時宗
如来 菩薩
阿弥陀如来
観音菩薩 勢至菩薩
経典
「浄土三部経」
『仏説無量寿経』 曹魏康僧鎧訳
『仏説観無量寿経』 劉宋畺良耶舎訳
『仏説阿弥陀経』 姚秦鳩摩羅什訳
思想 基本教義
称名念仏 末法思想
関連人物
釈尊
十大弟子
龍樹 天親
曇鸞 道綽 善導 懷感 少康
空也 源信 良忍
源空(法然) 証空 弁長 幸西 長西 隆寛
親鸞 性信 真仏 唯円 如信 覚如 蓮如
一遍 聖戒 他阿
ウィキポータル 仏教
他力本願(たりきほんがん)
仏教用語で、阿弥陀仏が衆生を救済する本願のはたらき。浄土教・阿弥陀信仰の根本となる教義である。#用法1を参照。
人まかせ、他人依存、成り行き任せの意。#用法2を参照。
双方とも『大辞林』・『広辞苑』などの辞書に採録される語意である。
本来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の本来の用法からして誤解である」[1]、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」[2]と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書[3]もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「本来は~」として用法1の意味を解説する辞書[4]もある。
目次 [非表示]
1 用法1
2 用法2
2.1 抗議に至った事例
3 脚注
4 関連項目
5 参考文献
用法1 [編集]
「他力本願」のうち、「他力」とは一般には、仏・菩薩・聖者が、自らが持つ優れた能力をもって他の菩薩や衆生に加え施す、その力(加被力)をさす。また「力」(りき)は、「力用」(りきゆう)のことであり、はたらきのことを指す。その意味で他力とは自ら以外の他者のはたらきのことをさす。浄土真宗で「他力」とは、「他」とは阿弥陀仏を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。「他力本願」の場合、「他力」の語意はこの意味である。
また「本願」とは、『無量寿経』に説かれている仏自身が法蔵菩薩という名で修行をする際に、師である世自在王仏の前で立てた誓いが「願」であって、その願が成って衆生はその願力により、浄土へ往生する。よって「他力本願」という。「他力」とはそのまま「阿弥陀仏の本願のはたらき」であり、さらに自らのはからい、もしくは行では、浄土往生は成就しないという意をももつ。この意味で「他力」の対語は、「自力」であるが、浄土教ことに浄土真宗では「自力」の対語は「他力本願」であり「他力」ではない。
親鸞は、「他力本願」とは『教行信証』で「他力というは如来の本願力なり」と述べているように、阿弥陀仏の本願のはたらきであり、そのはたらきは、浄土への往生のためだけでなく、今この時にもはたらき続けていると解釈した。そして浄土への往生を喜ぶだけでなく、将来は往生して浄土で仏となることが確約されている現在を現生正定聚とし、現実に生きていることが、阿弥陀仏の智慧と慈悲(本願)のはたらきに目覚めさせられることにより、救済されるとする。
「正信偈」に
彌陀佛本願念佛 邪見憍慢惡衆生 信樂受持甚以難 難中之難無過斯
(訓読) 弥陀仏の本願念仏は 邪見憍慢の悪衆生 信楽[5]受持[6]すること 甚だ以って難(かた)し 難の中之(の)難 斯(これ)に過ぎたるは無し
と述べ、「邪見[7]」や「憍慢[8]」の心にとりつかれている私たちを「悪衆生」とし、その悪衆生が、本願の念仏を素直に喜び、いただき続けていくことは、「邪見」や「憍慢」が妨げとなり、はなはだ困難であり、困難なことの中でも、最も困難なことであって、これに過ぎた困難はない、つまりこれ以上の困難はないと述べている。そして親鸞は、「正信偈」の上記部分に続く「依釈段」で七高僧の教えを説き、このような悪衆生たる私たちだからこそ、自らの力による修行によらない、阿弥陀仏の本願による他力の信心が、私たちに差し向けられていて、また本願にかなうとしている。[9]
他力本願の捉え方
阿弥陀仏の本願のはたらきを、人に対する何らかの実体的なはたらきと、二元的・対象的・恩寵的な事象として捉える場合。
阿弥陀仏は、どこか別の世界に存在する実体的な事象ではなく、真実の象徴表現として阿弥陀仏のはたらきを捉える場合は、その真実に出遇い目覚めさせられることによって、自らが虚仮不実の身・不浄の心でしかないことが知らされる。それゆえにこそ、自己を慙愧せしめられ、真実を願わしめられる、一元的、自覚的な捉え方。[10]
浄土教ことに浄土真宗の見解としては、縁あって修行の実践により自らの力で悟りを開こうとする人(難行道・聖道門を選ぶ人、修行仏教)や、その教義を否定するものではない。しかし自らの力で悟りを開こうとすることは、不可能に近いくらい難しいと捉える。
用法2 [編集]
主に宗教的意味を伴わない文脈で、「ひと任せ」、「他人依存」、「(太陽の働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働きなどによる)成り行き任せ」などの意味で使用される。
浄土真宗では、この意味で「他力本願」の語を用いることを誤解であるとする[11]。
キリスト教における三位一体同様、日本語の中で、元々の宗教的概念や意味合いとは異なって使用されることのある用語の一つである。
抗議に至った事例 [編集]
現在では、用法2の意味も辞書に掲載される一般的な用法である。しかし用法2の意味で使った事例に対して、浄土真宗各派から抗議が行われることがある。以下にその事例を挙げる。
1968年には、当時の倉石忠雄農相が日本の軍備に触れ、「今の世界は他力本願では生きていけない」との意味の発言をして浄土真宗各派から抗議されている。
2002年5月、オリンパス光学工業株式会社(現在のオリンパス株式会社)が全国紙に「他力本願から抜け出そう」というコピーで広告を掲載した。それに対し真宗教団連合が「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と抗議をしている。その後オリンパスは配慮が足りなかった点を謝罪した[12]。
脚注 [編集]
^ 「(略)世間一般には、自己の主体性を放棄して他人の力だけを当てにしてものごとを成し遂げようとする依存主義・頼他主義に関して用いられることがあるが、これは語の本来の用法からして誤解である。」(『岩波仏教辞典』第二版、p.689、「他力本願」)
^ 「(誤用が定着したものか)俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。」(『大辞泉』「他力本願」)
^ 「他人の力に頼って事をなすこと。他人まかせにすること。」(『大辞林 第二版』「他力本願」)
^ 三省堂「新明解四字熟語辞典」[1]
^ 信楽…教えを聞いて信じ喜ぶこと、ひたすら信じて疑わず、おのずから心に歓喜が生じることをいう。(中略)浄土教では、弥陀の本願を深く信じて疑わず、救済されんことを願うことをいい(後略)。(『岩波仏教辞典』第二版、 p.565)
^ 受持…〈受〉は受領。〈持〉は憶持の意。〈受け持(たも)つ〉と訓戒し、教えを受けて記憶すること。(『岩波仏教辞典』第二版、p.500)
憶持…記憶して心に持つこと。心に記憶して忘れないこと。翻訳語としては、憶念と同一。(『岩波仏教辞典』第二版p.114)
憶念…(略)東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い。(『岩波仏教辞典』第二版、p.114)
^ 邪見…真実に背いたよこしまな考え方。
^ 憍慢…自ら思い上がり、他を見下して満足する心。
^ 『正信偈の教え』上、pp.200-204。『親鸞聖人に学ぶ 真宗入門』pp.189-190。『浄土文類聚鈔 入出二門偈頌』pp.43-44。
^ 信楽峻麿「阿弥陀仏論」『仏教文化研究所紀要』第20集、龍谷大学仏教文化研究所編、1982年3月。信楽峻麿「現代真宗真偽論」『真宗研究』第46輯、2002年1月。
^ 浄土真宗では、〜を誤解であるとする。(東本願寺 - 仏教語 - 他力本願。本多弘之監修『知識ゼロからの親鸞入門』幻冬舎、p.75。坂東浩監修『うちのお寺は真宗大谷派』双葉社、p.85。を参照)
^ 『朝日新聞』2005年5月28日号。
関連項目 [編集]
ウィクショナリーに他力本願の項目があります。悪人正機
十二落抬
自力本願
参考文献 [編集]
多屋頼俊・横超慧日・舟橋一哉 編 『仏教学辞典』 法藏館、1995年、新版。ISBN 4-8318-7009-9。
中村 元・福永光司・田村芳朗・末木文美士・今野 達 編 『岩波仏教辞典』 岩波書店、2002年、第二版。ISBN 4-00-080205-4。
河野法雲・雲山龍珠 監修 『真宗辞典』 法藏館、1994年、新装版。ISBN 4-8318-7012-9。
瓜生津隆真・細川行信 編 『真宗小事典』 法藏館、2000年、新装版。ISBN 4-8318-7067-6。
古田和弘 『正信偈の教え』上、真宗大谷派宗務所出版部、2008年。ISBN 978-4-8341-0397-7。
一楽 真 『親鸞聖人に学ぶ‐真宗入門』 真宗大谷派宗務所出版部、2007年。ISBN 978-4-8341-0373-1。
浄土真宗教学編集所 聖典編纂監修委員会 編纂 『浄土文類聚鈔 入出二門偈頌』現代語版、本願寺出版社〈浄土真宗聖典〉、2009年。ISBN 978-4-89416-277-8。
本多弘之 監修 『知識ゼロからの親鸞入門』 幻冬舎、2009年。ISBN 978-4-344-90148-3。
坂東 浩 監修 『うちのお寺は真宗大谷派』 双葉社、2005年。ISBN 4-575-29813-1。
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